2018年6月23日土曜日

海外で、日本で、子どもの英語教育方法を知る

「海外でも英語教育、バイリンガル教育に熱心な親は多い。」

とつくづく思います。私はもともと、「子どものうちはのびのびと!」というタイプで、英語に限らず教育に対してあまり熱心ではありませんでした。しかし、今私の周りにいるのは教育熱心な親ばかり。私より英語ができるのにまだ足りないのかと不思議なくらい英語教育重視の人が多いです。さらにヨーロッパの小国にいると複数の言語ができて当たり前。そんな(ちょっと特殊な)環境で、子どもの成長を目の当たりにしていくうちに、私もすっかり考え方が変わりました。今は自分も英語教育に熱心な親のひとりとなったと思います。

子ども英語教育について、学校で開かれるワークショップや講演に参加したり、他の方の体験談を聞いたり、いろいろな話を聞いてきました。ここで(自分のためにも)今まで聞いてきたことをまとめておこうと思います。英語に限らず、第2言語「習得」の話が多かったのですが、最近聞いた講演では第2言語「忘却」という別の観点で英語教育の話も聞きました。

忘却というのは、たとえば、海外生活からの帰国後に海外で話していた言語を保持するにはどうしたらいいのか、といったことを想定しています。習得と忘却、真逆の観点ですが、どちらから見ても結局同じ結論に至るように思え、実はバイリンガル教育には王道があるのではないかと考えるようになりました。

・英語教育、いつからがベスト、というのはない


幼児期から英語教育を始めるべきとか、始めるべきではないとか、そういう論争は繰り返し起きている印象ですが、いつがベスト、という結論はないそうです。ただ実際に赤ちゃんはお腹にいる時から複数の言語の違いを聞き分けていて、小さな赤ちゃんからバイリンガル教育を始めることができます。お父さんとお母さんの第1言語が違う家庭は、胎児の時からバイリンガルが始めることが多いと思います。

小さな子どもの言語習得の利点は、やはり発音だそうです。言葉の発音を聞き分ける能力は幼い子どもの方が優れていて、10歳くらいでその能力は衰えてしまうこともわかっています。しかし、幼いほど言葉を忘れてしまうことも簡単です。

むしろ大きくなってから勉強を始めた方が、最初から文法など体系的な理解ができるので、効率的である場合もあります。しかも幼い子どもよりも忘れにくく、定着します。

かつては私も早期英語教育は維持が難しいという理由で反対していましたが、大きくなってから、たとえば中学生から英語の勉強を始めても、語学のセンスがある人しか英語を身につけられない、と諦めている部分がありました。

しかし、幼い時から始めても、大きくなってから始めても、どちらの場合でもバイリンガルにはなれるそうです。確かに、英語だけでなく、フランス語、ドイツ語と複数の言葉を使いこなせる人がたくさん周囲にいますが、誰もが幼い時からいろいろな言語を学んでいたわけではなかったです。そこには、ヨーロッパの言語の多くが、日本語よりもお互いに言語的な近さがあり、日本語よりハードルが低いという有利な点はあると思います。

でも、言葉が近いといっても、自然にできるようになったわけではなく、教育をしっかり受けてきた人はきちんとした言葉を話す一方で、不正確な言葉を話す人もたくさんいることにも気づきます。何歳で始めるかということより、いかに教育を提供できるかということが大切なのだと思います。

ただし、そのような状況を踏まえたうえで、結果的には英語教育の早期化が流行っているように感じます。オランダの現地校では10歳から英語教育を行うのが標準だそうですが、今は4歳5歳から英語の授業を行うとアピールする学校が増えました。幼児期から始めた方が有利、と考える人が増えているのではないかと思います。

・「読む」ことがカギ


子どもが言葉を学ぶには、聞くことから始まり、だんだん話せるようになってくるのが自然な流れです。子どもが自ら第2言語を話すようになると親としてはうれしいものです。しかし、言語を身につけるときにカギとなってくるのは、話すことよりも読むことだそうです。

読むことにより、聞く、話すだけでは不十分になりがちな、文法や語彙などの知識をより強化することができます。また、言葉を忘れずに維持していくにも読むことが有効なのだそうです。たとえば、海外生活から日本に帰国した場合、外国語に触れる機会が急に減って、言葉を忘れてしまうわけですが、読む能力は聞いたり話したりする能力よりも衰えにくいのだそうです。

日本にルーツがあるけれど、一度も日本に住んだことがない知人がいます。彼女は日本語を使うことに全く支障がありません。彼女から送られてくるフォーマルなメールを読んでも、不自然な表現や文法の誤りもほとんどありません。彼女は子どもの頃からずっと日本のマンガを読むのが好きだったそうです。もちろん海外で日本語補習校に通うといった努力もあったそうですが、(マンガであっても)日本語を積極的に読んできたことがよかったと実感しているそうです。

・文法は軽視できない


日本で中学生から英語の勉強を始めた私は、自分が文法偏重の英語学習で失敗してきたような気がして、言葉を学ぶには文法よりももっと大切なことがあるはず、と思っていましたが、文法を軽視することはよくないそうです。

幼い子どもが言葉を簡単に忘れてしまうのは、文法などの言語の基礎がしっかりできあがっていないからだと考えられています。正しい言葉を定着させるには、文法も当然大切になってくるのです。

子どもの学校(ブリティッシュ・スクールなので、アメリカン・インターナショナル・スクールなどとは違うところもあるようです)では、7歳の基礎段階から英語の名詞、動詞、形容詞とは何か、主語と述語の関係といった文の構造も授業で扱われていて、驚いたことがあります。そして、文法を説明するだけに終わらせず、それを使いこなせるように文章をたくさん書かせます。同じアウトプットでも話すことよりも書くことの方が難しいものです。語彙、綴りや文法があまりできなくても話すだけなら何とかなりますが、書くときにはごまかしがききません。聞く、話す、ばかりでなく、言葉が少し理解できるようになってきたら、読み書きも始めることが必要なのだそうです。

・長い目で見ないと本当の成果はわからない


複数言語の習得は、子供にとって負担、第1言語の習得に遅れが出る、他の分野での成績が悪くなる、と考えられることが多いと思いますが、実際にはバイリンガルが学業に悪影響を与えるということは証明されてはいないそうです。

ただ、言語を習得する過程には個人差があるので、ある子にとっては容易にできることもほかの子には時間がかかることもあります。学校の成績が芳しくないと、うちの子は遅れている、とか、バイリンガルには向いていない、と思ってしまいがちですが、それは一時的なことなのだそうです。長期的には、複数言語を習得することは、そのほかの学業全般にも良い影響を与えるとされています。

しかし、「長い目で見る」ことが難しい場面はたくさんあります。現実的には日本の学校教育のように学校のカリキュラムには第2言語教育がきちんと組み込まれていないと特に、子どもの成績が伸び悩んでいるときに、親が第2言語の勉強を重視し続けるのは親としても苦しいと思います。

私自身、自分の息子を見ていると本当にそう思います。イギリスの教育と日本の教育の両方を受けている息子ですが、国語(英語、日本語)を含め学業面でもっと努力が必要な段階、とどちらの学校の先生にも同じことを言われます。特に国語は底上げが必要。日本語も英語も、文法的理解が不十分、語彙が足りない、読み書きへの苦手意識が強い、全く同じコメントです。もしも、日本語だけだったら、日本語に触れる時間が格段に増えて、語彙も多くなるだろうし、文法などの理解ももっと深められるのではないかと思うこともあります。

息子はバイリンガルには向いていない、と思ってしまいます。でも、息子のクラスメイトの読み書きのレベルを見てみるとかなり個人差があるのは明白なのですが、何年か経つとその差は少しずつながら狭まっているようにも思います。かなり高レベルな子が同じクラスにいるのを見ては慌てていた私ですが、3年くらい経つと昔ほどの大きな差が感じられなくなりました。勉強をやめなければ、誰でもある一定以上の水準には到達できるのではないか、というのが今の私の感触です。

・バイリンガルは親から子どもへのプレゼント


学校の先生からも、言語学の先生からも、よくこのようなセリフを聞きました。子どもの能力や周りの環境が大事ではないかと思っていた私にとって、すべてが「親次第」と言われているようで戸惑います。どうやら、学校などで勉強しているから、というだけでは複数言語を使えるようにはならないということのようです。

一番近くにいる親がどのようにサポートするかによって、成果は大きく変わります。というと、親も英語ができないとダメなのではないか、厳しく子どもを勉強させないといけないのでは、と思ってしまいますが、そういうことではないそうです。第2言語を使うことに対して、親が肯定的な態度を持っていることが大切なのだそうです。子どもが第2言語を使うことを褒めたり、親も関心を持って一緒に勉強したり、というのが重要なのだそうです。言葉を習得するのは長い時間をかけて地道な努力が必要となるので、決して楽ではないと思いますが、前向きに楽しんで学べるように助けていくのが親の役割です。

子どもにとって、言語を学ぶことの優先順位が下がってくることもあります。その言語を身についけることが子供自身にとってどのような意味を持つのか、家庭や社会の環境によっても変わってきますし、スポーツや音楽など本人のやりたいことがはっきりしてくると第2言語の優先順位が落ちてくるのも当然の流れだと思います。そういう時がきてもバランスを取りながら、長く継続することは容易なことではないだろうと思います。

なかなか難しいものですが、我が家で一番重視している取り組みは、子どもたちが複数の言語ができることは得だと思ってもらえるように、子どもが喜びそうな本やテレビ番組、映画など、せっせと集めることです。

読むことが苦手でも、絶えず周りに本を置いておくだけでも効果あり、でした。


こういう時、日本語はとてもいいですね。本もマンガもアニメも充実していて、子どもにとっても魅力的です。やはり英語の方が圧倒的にコンテンツが多くアクセスしやすいのですが、日本語の魅力が衰えないでほしいです。


野口由美子

2018年6月15日金曜日

「ワンダー」映画と原作どちらがいいか

ベストセラーの児童書「ワンダー(原題: Wonder)」映画版が、日本でもちょうど今、2018年6月公開になったそうです(映画の邦題:「ワンダー 君は太陽」)。

ヨーロッパでの公開は去年だったので、原作本のファンだった私は喜んで観に行きました。

"Wonder" (2017)


映画版「ワンダー」を観て


主人公のオーガストは10歳の男の子。障害を持って生まれたオーガストの顔は、周りの大人が顔色を変え、子どもは逃げ出すか、指をさしてじろじろ見るか、「普通」の容貌ではないという悩みを抱えています。そのオーガストが初めて学校に通うことになります。最初は学校で孤立してしまいますが、友達や先生に出会い、家族の愛情を受けながら、いじめに立ち向かい、成長していく物語です。

映画では家族の絆の大切さや友情の力を訴える感動作となっていました。オーガストのお母さん役のジュリア・ロバーツが輝き、オーガストのお姉さんや友達など子役の生き生きとした演技を観ることができます

原作本「ワンダー」の魅力


息子は原作本にのめり込んだひとりで、彼にとっては初めて1冊読み通せた本がこの「ワンダー」でした。

自分がふつうの10歳の子でないって、わかってる。 
I know I’m not an ordinary ten-year-old kid. 

そんな書き出しで始まり、1ページ目の最後には、

ところで、ぼくの名前はオーガスト。オギーとよばれることもある。外見については説明しない。君がどう想像したって、きっとそれよりひどいから。 
My name is August, by the way. I won’t describe what I look like. Whatever you’re thinking, it’s probably worse. 

主人公が語る形でストーリーは始まりますが、最初のページで息子は息を飲みました。主人公に自分を投影することができず親しみが持てない、しかもつらい話が続くのでは、と最初はあまり積極的に読みたがりませんでした。

しかし、本は子どもが読み進めやすいように、ストーリーで深みが出るように工夫されていて、息子もだんだん自分で本を手に取るようになりました。本が苦手な子にも親しみやすくなっています。

  • 話は家族の出来事や学校の授業やランチタイムなど、2ページ程度の短いエピソードが積み重なっていくので、テンポが良く、わかりやすい
  • 主人公だけでなく、主人公のお姉さんや友達などいろいろな登場人物が交代で物語を語るので、いろいろな登場人物の視点から共感できる

そんな工夫のおかげで、オーガストが1年間学校に通い最後の修了式に出るラストシーンまで息子は読み通すことができました。

最後に

「やった!」

と本を片手に心から喜んでいた息子の表情は、息子もオーガストの学校の生徒になっているかのようでした。

息子は、主人公の友達のジャック・ウィルが好きだと言いました。最初はオーガストのことを気味悪いと感じたり、いじめられている彼に親切にすると自分もいじめられることになるのではと恐れたりします。それでもオーガストの素直で機転が効いてユーモアに溢れた性格に強く惹かれ、仲良くなっていきます。息子が一番自分に近い存在だと感じたようです。

映画と本の違い


映画版ではジャック・ウィル役の子(ノア・ジュプ)が本のイメージそのままに、息子の友達にもいそうな自然で「どこにでもいる子」らしく生き生きしていました。

あんなに好きだった本だから、映画も喜ぶのではないかと思い、私は息子を映画に誘いました。

「嫌だよ。観たくない。」

断固拒否されました。怖いのだそうです。自分が想像するよりもっとひどい、と本に書かれていた主人公の顔を映像で見たくない、ということでした。映画の主人公の顔は、原作の表現よりもだいぶ控えめの特殊メイクで、その顔を観ていてつらくはなかったのですが、そう説明してもダメでした。

それだけ強く印象に残った本なのかもしれません。テレビ大好きの息子ですが、今回は本が映像に勝ったということかも、と前向きに解釈をして引き下がりました。

まだ原作を読んでいない人には、映画を先に観ることをおすすめしたいです。映画はとてもうまくまとまっていて感動的で、その後に本を読むとさらにストーリーに引き込まれます。

正しいことをするか、親切なことをするか、どちらかを選ぶときには、親切を選べ

これはストーリーの中で重要な役割を果たす言葉(格言)です。そんなことを大人も考えさせられます。映画を観た後、私もまた本を読みました。繰り返し読みたくなる本です。

(引用: R. J. Palacio "Wonder" Random House Children's Publisher. 
日本語版 中井はるの訳ほるぷ社刊)


野口由美子

2018年6月11日月曜日

「いちいち失望しているようではまだ甘い」本当の大人を見た

子どもの誕生日の話はよくしますが、今回は珍しく自分の誕生日に起きた小さな出来事の話です。今年の誕生日はちょっと特別なことを、と私が前から行きたかったコンサートに出かけました。

コンサートといっても、今人気のバンドや歌手などではなく、かなり渋いクラシックコンサート。ロックやジャズもいいけれど、今住んでいるオランダではクラシックが一番身近に感じられます(毎シーズン何回か聴きに行きますが、カジュアルで飲物のサービスまであって、気軽に入れます)。

演目は、

コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク指揮
マーラー交響曲第9番

コンセルトヘボウのホールで聞くコンセルトヘボウ管弦楽団はやはり世界屈指のオーケストラですし、ハイティンクは巨匠、と呼ばれるような特別な存在。チケットの値段も他の指揮者よりも1.5倍くらい高いのですが、それでも早く売り切れます。熱心なクラシックファンではない私ですが、一度は聴いてみたい、と思っていたので、いつもだったら買わないような高いチケットを買って、ずっと楽しみにしていました。


コンサート当日にがっかりしたこと


当日、開演1時間前にはホールの入口に来ていました。すでに人が集まり始めています。ふとモニターの画面に映し出されている今日の上演スケジュールを見ると、

指揮: ケレム・ハサン

指揮者の名前が変わっているのを見て、愕然としました。慌てて、チケットのメールを見直そうすると、数時間前に指揮者変更のお知らせがメールで届いていたことに気づきました。

ハイティンクは前の公演終了時に転倒し、現在快方にむかっていますが、休養が必要と判断し本日の指揮は行わないことになりました。指揮はアシスタント・コンダクターのケレム・ハサンが務めます。

私はそのメールを見た瞬間に、窓口に直行しました。

「今日のチケットの払い戻しはできますか。」

「それはできません。オーケストラは揃っているし、演目も変更ありません。指揮者が変更になっただけでは、払い戻しはできないんです。」

でも、みんな指揮者を見に来ているのに、去年から楽しみにしていたのに、と完全にがっかりしている様子の私に窓口の女性は言いました。

「でもオーケストラはとてもいい状態だし、彼はとてもいい指揮をすると思います。ぜひ聴いていってください。」

その場しのぎに慰めの言葉をかけているだけだろうと私は思いましたが、チケットを無駄にすることもできず、会場に入ることにしました。


会場内に不満の声は?


周りの客席を見ると私のように動揺したり落胆したりしている様子の人はあまりいません。みんな指揮者の変更知っているのかな、と心配になってしまうくらいでした。他のコンサートと変わらないリラックスした雰囲気です。

開演時間になりました。演奏に先立ち、主催者の代表が指揮者の交代について説明しました。一瞬、ちょっとだけ会場の空気が変わり、この時初めて知った、という感じの人もいましたが、それでも平然としている人がやっぱり多かったです。ハイティンクは大事に至らず元気になってきている、という説明にほっとしている様子。どよめきさえ起きることなく、説明は簡単に終わりました。

みんなハイティンクを見たくて、かなり前から高いお金出してチケット買ったはずなのに、どうしてこんなに平然としていられるんだろう。私には不思議でなりませんでした。


指揮者の登場に観客は


そして、代役の指揮者が登場しました。

会場は、普段よりも温かい大きな拍手に包まれました。歓迎ムードで、観客は若い指揮者を応援しているかのようでした。その雰囲気に私は完全に意表をつかれていました。

張り詰めた第1楽章が終わり、指揮者はハンカチで両方の手のひらをゴシゴシ拭きました。堂々と指揮をしているように見えましたが、かなり緊張しているようです。巨匠の代役、こんな大役を急に任されてしまったのだから当然かもしれません。

しかし、その後は緊張が和らいだのか、ぐっと演奏に幅が出て、第4楽章に入るときにはホール全体の空気が変わっていました。

指揮者の実力だったのか、オーケストラのメンバーが緊急事態にいつも以上の力を出したのか、その両方があったからか、私にはわかりませんでしたが、ホールは一体感に包まれ、感動的な演奏になっていきました。

演奏後の拍手は今まで観たコンサートの中では一番熱烈で、観客のほとんど全員が立ち上がっていました。指揮者はもちろん、オーケストラのメンバーも満足そうでした。


スタンディング・オベーション。拍手は長い間鳴り止みませんでした。

ハサン自ら語っている言葉もよかったのでツイッターを引用します。


「器の大きさ」が違う


私は、開演前にがっかりしていた自分が恥ずかしくなりました。コンセルトヘボウで演奏したこともない代役の指揮者。まだ26歳の若者。ほとんどの人は彼の名前さえ知らなかったのではないかと思います。でも観客は突然現れた若い指揮者を最初から応援していました。最初に観客が拒絶していたら、今回のような演奏はできなかったと思います。聴衆の器が大きさを感じました。

今回降板したハイティンク自身も50年ほど前に代役でコンセルトヘボウで指揮をしたのがデビューだったそうです。今回同じような形で代役の指揮をしたハサンも、もしかしたら10年後にはコンセルトヘボウの首席指揮者になるかもしれないし、30年後には名指揮者と呼ばれているかもしれません。そう考えると、今回自分はむしろラッキーだったのでは、とさえ思えてきます。

期待はずれ、がっかり、失望。自分も誰も悪くなくても、嫌な出来事を完全に避けることはできませんが、そんな時、ただ失望して諦めてしまうようでは、まだまだ甘い。そんなことを教わったような気がしました。もう私自身も歳を重ねていい大人、と思っていたのですが、まだまだ至らない自分に気づかせてもらった、いい誕生日になりました。


野口由美子


追記: ケレム・ハサン氏のツイッターの引用を差し替えましました(2018年6月12日)。






2018年6月7日木曜日

子どもの創造性はどこから? 学校のアートの授業

私の娘は、学校の授業でアートが一番好きだそうです。

小さい時から外で走り回っていれば満足な息子とは違い、家でお絵かき、塗り絵をするのも好きだった娘。朝の着替えも対照的で、クローゼットの中から最初に手に触れた服を着る息子に対して、いちいち服を広げて上下並べ、色やシルエットのバランスを考えて今日のコーディネートを考えるこだわりの娘(最終的には数枚しかないお気に入りばかり選ぶことになるのですが)。

子どもがアートの授業で何をやっているのか、私はこれまであまり知らないままでしたが、娘のアートに対する情熱は一段と違うようです。そんな娘が実際にどんなことをやっているのか、ちょっと興味を持つようになりました。

6歳でゴッホの模写


去年娘が描いた作品にはこんな絵がありました。

子どもなりに一生懸命描いたことがよくわかりました。


「ママこれが何の絵だかわかるよ。」

「ファン・ゴッホでしょ?」

「そう、すごい。ママも知っているの?」

ゴッホの「ひまわり」を忠実に真似するというのが授業の課題だったそうです。

私がイメージしていた子どもの絵とは、だいぶ違うのでちょっと驚きました。

「自由に描いてごらん。」

「自分が見て感じたとおりに描けばいいんだよ。」

というような、子どもの独創性とか創造性とか、「自由」が強調される(自分も子どもの時にそんなことを言われてきたような気がします)イメージを持っていましたが、娘のアートの時間は必ずしもそうではないみたいでした。

7歳でキュビズム


最近描いた彼女の自信作は学校の廊下に貼られていました。自分の絵が飾られたのが誇らしかったみたいです。

この絵も結構驚きました。


「ピカソの絵を勉強したの?」

「ピカソってママも知っているんだ。これはキュビズムなの。」

他の子の作品もそれぞれ個性的でした。

同じことを習って描いた絵でもこんなに違いました。


「自分の好きなように描いていいんだね。」

「自分で考えて描いていいんだけれど、わからないところは真似していいって先生が言った。頭のところはわからなかったから、先生がコピーして描いていいって言った。」

なるほど、自由に描くことを「強要」するものではないんだな、と興味深かったです。ひとつの描き方やスタイルを教わってから、自由に描くことが始まるようです。

バルセロナのピカソ美術館で


さらに、先日バルセロナに旅行した時、ピカソ美術館を訪れました。いつもは美術館に行くことを嫌がる子どもたちなのですが、学校の授業の効果か、今回は子どもと一緒に楽しめました。

娘は案の定キュビズム時代の作品をよく観ていました。

「前から見た顔と横から見た顔と一緒に描くんだよ。横から見ると目は1つだけど、前からだと2つ。これは横の顔だけれど、前からと横からと両方の目を描いているんだよ。」

娘の解説付き。自分も同じスタイルの絵を描いたので、作品に親しみを感じるようでした。

息子も熱心な娘の影響を受けたのか、ピカソが14歳の作品に圧倒されたり、自分の気に入った作品を見つけたりしていました。

息子はいつも美術館外に出たい一心なのですが、
この日はピカソの「ラス・メニーナス」のポスターをお土産に選んでました。

子どもも芸術に触れるべき。だけど、うちにはまだ早いかも、とずっと諦めていましたが、いいきっかけがあれば、やはり子どもの感性に届くものなのだなと思いました。

何がきっかけになるかは、最初からはわからないものです。たくさん拾い上げてみたいです。



野口由美子




2018年6月1日金曜日

日本人として求められる意見。母は冷や汗、息子は冷静。

私が今住んでいるアムステルダムとその周辺地域は外国人が多いのですが(日本人も多いです)、人によっては、私が初めて出会う日本人、ということで、私をきっかけに日本に興味を持ってくれる方もいます。

日本の観光名所や食べ物の話をしている分にはいいのですが、過労死、自殺といった社会問題、政治、宗教の話となると、私はかなり苦戦、というのが正直なところです。

相手の質問に冷や汗をかいた私


先日は、オランダの友人女性から

「日本人はなぜクジラを食べるのか。クジラを殺すのは良くないと考えないのか。」

と聞かれました。どうしてクジラの話になったのかよくわからないのですが、彼女がベジタリアンで、極端なくらい動物愛護に熱心なことはすでに知っていたので、昔から疑問に思っていたことを、素直な気持ちで私にぶつけてみたのかもしれません。

私は、日本人の宗教観、価値観の話を聞きかれていると感じ、

「伝統的な日本人の価値観は、動物でも植物でもすべての命が同じように大切で…」

というような話をし始めていました。

「他者の命を無駄にすることが一番悪い、と考えるので、植物でも動物でもクジラだって、食べる分だけ必要な分だけ獲る、ということを昔からしてきたわけで、その限りではクジラを絶滅させるほどの乱獲にはならなかったはずで…」

と結局は歯切れの悪い説明になってしまいました。

彼女自身は、動物を殺すことはどんな理由でもダメ!という立場で、植物も動物も同じ命なのだから、という最初のポイントからわからなかったようでした。

「でも、植物と動物は違うと思わない?」

 と繰り返し質問され、この点については平行線のまま。

「そういうあなたの意見はわかる。」

と私も認め、お互いに違う価値観を知るって面白いね、ということで、許して(?)もらいました。

それにしてもこういう時、弁の立たない私は冷や汗をかいてしまいます。

子どもも大人と同じ経験


その日、学校帰りの子どもたちにこの話をしてみました。環境保護関連のトピックは学校の授業でも頻繁に取り上げられているようなので、子どもたちも何か似たような経験したかもしれないと思ったのです。

「なんで日本人はクジラを食べるの?それひどくない?って友達に聞かれたことある?」

と私が聞くと、息子がちょっと苦い顔をしました。

「ああ、それ、あるよ。」

学校の授業では、クジラは絶滅危惧種だという話になって、日本の捕鯨についても触れられたそうです。

息子は友達に問い詰められて、日本人代表として回答を求められたようです。

(写真は娘の作品。クジラではないですが)
授業では、絶滅危機の動物のひとつとして、クジラの話が取り上げられていました。
娘の場合は「日本人は悪い」みたいな話を聞いて肩身の狭い思いをしたそうです。


子ども自身で編み出した論法


「そういう時は相手に考えさせるんだよ。そうすれば黙るから。」

私が思っていた以上に、息子はシビアな議論に慣れているのかもしれない、とちょっと驚きました。

「なんでヨーロッパ人も昔はクジラをたくさん獲ってきたの?」

「なんでヨーロッパ人は獲ったクジラの油だけ取って、あとは捨ててきたの?日本人はクジラを食べるだけでなく、骨も使って無駄にしなかったよ。」

「クジラを食べることじゃなくて、昔クジラを獲り過ぎたことが悪いんじゃないの?」

「こうやって質問するとだいたいみんな、黙る。」

誰かに教わったわけではなく、彼が自分で編み出した方法のようです。確かに彼のやり方は、

  • 相手を否定しない
  • 争点を自分で設定する
  • さらに自分の望む答えを引き出せる質問内容に話を持っていく

というポイントを押さえています(本人は無意識でやっているようですが)。自然にこういうことを身につけるのか、と私は彼が普段身を置いている環境が思った以上に「大変」なものだと初めて知った気分でした。友人との会話に冷や汗かいている場合ではなかったです。

そして彼の中でクジラの話は、

「話しても無駄、文化の違い。」

という結論が出ていた点も興味深かったです。お互い関心を持つことはいいことですが、いつも簡単に優劣を決められる、というのは確かです。

ただ、友達と走り回っていれば満足しているように見えた息子も、確実に成長していろいろなことを経験しているんだなあ、と思いました。


野口由美子

2018年5月25日金曜日

海外で、子どもの誕生日パーティーの極意

子どもの誕生日パーティー。子どもにとって自分が主役の一番うれしい日。住む国によっていろいろスタイルの違いがあるものの、やっぱり大切なイベントです。海外での子どもの誕生日パーティーは、計り知れない重要度があります。日本のように七五三や学校の入学式といった成長の節目となる行事があまりないので、余計に、ということかもしれませんね。

イギリスでもオランダでも、子どもの誕生日パーティーは盛大で、趣向を凝らしたものが多かったです。たとえば、

  • サッカー
  • バスケットボール
  • アーチェリー
  • トランポリン
  • アスレチック
  • ロック・クライミング
  • スポーツジム
  • ボート
  • インドア・プレイグラウンド
  • プール
  • ビーチ
  • ボーリング
  • レーザーゲーム
  • ダンス
  • 乗馬
  • チューリップ摘み
  • マジックショー
  • 料理教室
  • ゴッホ美術館

などなど(すぐ思い出せるものだけでもかなりバラエティに富んでいますね)。

いろいろな施設が子ども用のパーティープランを用意しているので、あらゆるパーティーを開くことができます。

年齢が小さいほど、パーティーに参加する人数も多いです。15人くらい友達を招待する子が多く、子どもが小さいと、さらに親も一緒にどうぞ、とワインなど用意されていることもあります。盛大です。


パーティーに招待されたときの作法



初めて子どもが誕生日パーティーに招待された時は、出欠の返事は? プレゼントは? と作法がわからず、ドキドキしました。

これまでの経験では、

  1. 招待状をもらったら、できるだけ早く返事する(実際には返事が遅い人もいるのですが、丁寧な人は早いです)
  2. 子ども同士、親同士で、パーティーの話はしない(呼ばれていない子が周りにいるかもしれないので。アメリカンスクールなどクラス全員を呼ぶ風習がある学校も多いそうです)
  3. (できれば)プレゼントのリクエストを聞く(もっと親しいと、招待された他の子の親にも声をかけてプレゼント代を集め、グループプレゼントを企画する、というのもあります)
  4. プレゼントの予算は15ユーロ前後から(上記のような場所でパーティを開くと、場所代だけでも1人あたり最低これくらいの予算がかかるのです)
  5. 子どもにカードを書かせる
  6. 当日指定された時間に、プレゼントとカードを持って子どもを連れて行く(時間厳守で来るのは大抵日本人ばかりですが)
プレゼント選びは悩ましいことが多いです。私立の学校は相場が上がってくるようで、選択肢もさらに広がるような気がします。でも、実際には人によってかなりばらつきがあるので、あげたいと思う物をプレゼントすればよい、ということなのだと思います。


誕生日が楽しみな子どもの影で、頭が痛い親


我が家はきょうだいの誕生日が同月なので、過去4年は毎年合同でパーティーを開いていました。日程確保が難しいという問題があり、苦肉の策だったのですが、子どもの年齢も上がってきて、そのようなやり方が難しくなってきたのも確かです。5回目の今年はついに別々に開くことにしました。2回分のバースデーパーティーの企画はなかなか頭が痛いというのが本音でした。

息子の場合

息子のパーティーには助け舟がありました。同じ誕生日の友達が一緒にパーティーを開こうと声を掛けてくれたのです。友達のお母さんと場所の下見をしたり、招待客リストを作ったり、一緒に準備しました。

友達のお母さんがケーキ、私が寿司担当。テーブルセッティングは施設にお任せ

場所はフリーランニングのジム。総勢18人、全員男子。ニンジャ・パーティーという趣向で(日本人には何が忍者だかよくわからないのですが)障害物競走のタイムを競うというアクティビティをやっていました。上手な子にはみんなから賞賛の嵐、うまくなくても頑張っている子には応援の声をかけ合いながら、本気で競い合っています。フリーランニングのインストラクター2人の若い男性が付いて大いに盛り上げてくれました。


ニンジャはこういうことをするらしいです


インストラクターの方は子どもの面倒見もよく、男子の憧れの的でした

施設を使ってのパーティーはいろいろやってもらえるので、事前準備も当日もやっぱり楽ですね。



娘の場合

それに対して、娘のパーティー。本当に仲の良い子だけを呼びたいと、娘が挙げた名前は5人。

去年まではもっとたくさんの友達を呼びたがっていたのに、友人関係が大きく変化していました。大勢で盛大なパーティーがやりたかったのではないか、とちょっと気になりましたが、少人数なら親もコントロールしやすいので、全部娘の希望を聞きながら一緒に準備することにしました。

  • 場所選び

「どこでパーティーやろうか。」

「外でやりたい。公園がいいな。」

今まで、天気が心配で(春は天気が不安定で、寒暖の差も激しく、曇りで雨が降ってその後ようやく晴れる、みたいな目まぐるしい天気になることが多いのです)外でのパーティーは、あえて避けていました。

「じゃあ、公園にみんなを呼んで一緒にボートに乗ったりしようか。」

親の私たちが大勢の子どもたちを仕切るのは大変ですが、今回は小さなパーティーなので、思い切って、夫と息子に仕切ってもらって(私は裏方なので除外です)公園で手作りのパーティーをすることにしました。

  • 食べ物の買い出し

スーパーに一緒に行って、

「なんでも好きな食べ物を選んでいいよ。」

という私の言葉に目を輝かせる娘。お菓子売り場に直行しました。
砂糖の入ったジュース。グミにチョコレート。いつもは私が渋るお菓子類が次々と買い物カゴに入っていきました。

  • パーティーバッグの用意

お菓子やおもちゃの入った小さなバッグはほぼ必ず、パーティーのゲストに配られるものです。中身は娘が何軒もお店を回って探しました。

「男の子たちはよくブロックで遊んでいるから、ブロックのおもちゃを入れる!」

「女の子にはブレスレット」

ひとりひとり違う色の好みに合わせて、ひとつひとつ選んでいきました。私ひとりで準備していたらこういうきめ細やかさはなかったです。

  • ケーキの準備

「スポンジケーキとバナナケーキにして!」

大きなデコレーションケーキを注文して用意する家庭もあれば、家でケーキを焼く家庭もあります。買ったケーキはとにかく甘すぎて、口に合わないので、毎回私が焼いています(日本に住んでいた時は家でケーキを焼くなんて考えられなかったものですが)。

「スポンジケーキはピカチュウの形にしてね。」

覚悟を決め、とことん娘に付き合うことにしました。

そして当日。晴天、気温20度。とても心地よい天気に恵まれました。招待した友達の家族もピクニックに来ていたので、きょうだいたちも飛び入り参加してもらい、パパと兄が中心となって盛り上げながら、1日楽しく過ごすことができました。


木々の中で虫探ししていたそうです
ペダルボート2台、湖を1周しました


娘と用意したお菓子を出すと、

「パラダイスだ!!」

と喜ぶ子どもたち。


リクエストのピカチュウケーキも


不健康なお菓子ばかり出してしまっていいものか、とちょっと後ろめたい気持ちもありましたが、今日は特別、ということにさせてもらいました。大掛かりなことは何もなかったのですが、子どもはこんなに喜ぶものか、と娘と一緒に準備してよかったと思いました(息子は、妹の友達にそれなりに気を使って遊んでいたらしく、ぐったりしていました)。


どうやって祝いたい? やはり気持ち次第


今まで見たパーティーで一番印象に残っているのは、こんなパーティーでした。

マネしたくなるバースデーパーティー

お金をかけた派手なパーティーが必ずしもいいわけではない。その時もそう思ったのですが、みんなそれぞれ、いろいろなやり方があっていいのだと思います。大きくても小さくても、派手でも地味でも、子どもの喜ぶ顔が見られるものですね。


野口由美子

2018年5月14日月曜日

孤独でも不安でも「子どもが最優先」誰も知らない母親の気持ち

「お母さんをひとりぼっちにしないでほしい。」

あるシングルマザーから聞いたこの言葉に、中山真珠さん(23歳・大学4年生)は、社会から孤立する母親たちの心の底にある本音を聞いたような気がしたそうです。

子どもの貧困対策センター公益財団法人あすのばの大学生スタッフとして活動する中山さんは、子ども食堂を主催していた母親の影響で、子どもの貧困問題に関心を持つようになりました。しかし、今は子どもを取り巻く「大人の貧困」にも眼を向けたいと言います。

あすのばで活動する中山さん(中央)


子どもの貧困が多いのは、ひとり親世帯です。父子世帯は19万世帯あるのに対して母子世帯は123万世帯あります。どちらの世帯も80%以上の親が就労していますが、父親の平均年間就労収入は398万円であるのに対し、母親の就労収入は200万円という調査結果が公表されています (出典:「厚生労働省の平成28年度全国ひとり親世帯等調査」)

中山さんは、このような数字だけではわからない、シングルマザーの気持ちに触れる体験をしたそうです。その時ご自身が感じたこと、考えたことを語ってくれました。


母親はいつも子どもを想っている


私は「あすのば小・中学生合宿キャンプ」(子どもの貧困対策センター公益財団法人あすのば主催、2018年3月24日から26日に千葉県君津亀山少年自然の家にて開催)で保護者プログラムを担当しました。この合宿は、ひとり親家庭などや、社会的養護のもとに暮らす小学生、中学生の子どもたちが参加し、高校生大学生世代のスタッフと親睦を深めます。

子どもたちが作った横断幕


小学生も対象なので、まだ年齢が小さい子でも参加できるようにと、保護者も参加できる形にしています。でも、様々なバックグラウンドを持つ子どもたちがいるため、参加する子どもの中には両親がいない子もいます。そういう子たちへの配慮もあり、保護者が同伴した場合、合宿中は他の子と同じように子どもだけで行動し、親御さんには別に用意した保護者用プログラムに参加していただき、原則別行動をとってもらっています。 

---(聞き手)ひとり親家庭の支援団体が行うイベントなどでは、親子が一緒に楽しむという形のものが多いそうですね。親と子が別行動になるイベントへの反応はどうでしたか。

今回参加した保護者は5名、全員シングルマザーでした。到着早々親子同伴できないことを知ったお母さんたちは子どもと離れることに戸惑い、躊躇していました。

私たちは、保護者の方に、忙しい日常から離れてゆっくりした時間を過ごしてもらいたい、保護者の方を労いたいという学生のアイディアから保護者プログラムが用意していたのですが、お母さんたちはそういう「自分のための時間を持つ」という気持ちにはなれなかったようです。

「夜飲ませる薬があるんだけど、部屋に行ってもいいですか。」

「渡さなきゃいけない荷物があるんだけど。」

と何かと心配そうなみなさんに

「一人ひとり 担当のバディ(学生スタッフ)がついていますから、彼らに任せていただけませんか。」

とお願いすると、

「大学生のボランティアに子どもを任せるのも...」

と返され、自分たちが全く信頼されていないと思いました。私の説明が悪かった部分もあったと思うのですが、完全に敵対心を抱かれてしまったように感じてしまい、私も、

「子どもたちに楽しんでもらうために、みんながんばって準備してきたので私たちを信じてください。」

と涙を流しながら訴えていました。

---(聞き手)私自身、小学生の子どもがいるので、参加したお母さん方の気持ちがわかるような気がします。もし自分が小学1年生の子どもと参加するとしたら、親子で一緒にいたいと思ったでしょうね。この方達と同じ気持ちになったと思います。

お母さん方の言葉の裏には、本当はいつも子どもと一緒にいたい、もっと子どものことを見ていてあげたい、という母親の気持ちがあったのだと思います。

母親自身にも「母親の気持ちなんて他人にはわかるはずがない」というような感覚があって、あまりそういうことをはっきり言うことは少ないかもしれません。中山さんは感じ取っていたようですが、母親の気持ちは周囲から見過ごされてしまいがちかもしれません。

「親のための時間」はぜいたく過ぎるのか


---(聞き手)保護者プログラムではどのようなことをするのですか。

2日目の保護者プログラムは、合宿会場周辺の散策でした。雰囲気を和ませようとした私が、

「昨晩はよく眠れましたか。」

とお母さんたちに話しかけても、

「(子どものことが)気になってよく眠れないわ。」

散策中も、

「ここに子どもも連れて来たかった。」

とお母さんが「自分だけの時間を持ってリフレッシュする」には遠く及ばない様子でした。

でも、だんだん時間が経つにつれて、みなさんがリラックスした表情に変わっていきました。特にイチゴ狩りをした時は、お母さん同士で楽しそうにイチゴを摘む姿がありました。

イチゴ狩りの様子1


イチゴ狩りの様子2


「いつもは全部自分でしなきゃいけないでしょ。運転するのも、ごはん作るのも、子どもを遊びに連れて行くのも。そしたら1日なんてあっという間だから、こうして全部誰かに用意してもらってたら、『あれ、まだこんな時間だったの?』 って思うくらい、こんなに時間がゆっくり流れるものなんだなって、びっくりした。」 

合宿所に戻る時、そうおっしゃったひとりのお母さんの言葉に他の方も深くうなずいていたのが印象的でした。子育ても仕事もすべてひとりで背負うことがどれだけ多忙なことなのか、感じました。

散策中に見た風景


---(聞き手)私自身はシングルマザーではありませんが、母親としてはいつでも「子どもが最優先」でやろうとしている気がします。「自分のための時間」なんて考えることさえできない状態で行き詰まってしまう母親は、シングルマザーに限らず、多いのではないかと思います。日本では母親が背負うものが大きすぎて、子育て自体がやりにくい環境になっていると感じることもあります。

母親の穏やかな表情を取り戻すには


---(聞き手)合宿中に、お母さん方が子どもたちの様子を見ることはあったのですか。

はい、完全に離れていたわけでもなく、時々様子を確認している方もいましたし、2日目の夜には子どもたちのキャンプファイアーを見てもらいました。

参加者の子の中には、合宿に来る途中に足に怪我をしてしまったため、車椅子で参加している子がいました。キャンプファイアーの場所まで学生たちがその子をおんぶして、周りの子達が協力して車椅子を運んでいる姿がありました。子どもたちはみんな楽しそうでした。

「親がいなかったから、ここまで(子ども同士が)仲良くなれたのかも。」

と、車椅子の子のお母さんが言っていました。子どもの笑顔はかけがえのないものですが、それを見守る親御さんの穏やかな表情も同じくらい尊いものだなとその時思いました。

キャンプファイアーの様子


私は、この合宿のメインはあくまで子どもたちであって、保護者プログラムはサブ的なもの、くらいにしか思っていませんでした。でも、3日間の合宿を通じて、シングルマザーの方々は、毎日忙しく働いていても経済的に困難な状態にあり、子どもの将来に対する不安や子育ての悩みを独りで抱えていることを知りました。

子どもも大事だけれど、女性、特にシングルマザーがもっと生きやすくなるにはどうすればいいか、もっと考えていきたいです。ただのイベントとして終わらせず、これからにもつなげていきたいと思います。

---(聞き手)ひとり親家庭であっても、「子どもが最優先」でがんばっている親がほとんどだと思います。でもシングルマザーは特に、働いていても経済的困難を抱え、生きづらい状況に追い込まれてしまいがちという実態が厚生労働省の調査結果からもわかっています。シングルマザーになったのは個人の事情だったのかもしれませんが、特定の立場の人が生きづらい原因は、個人の事情だけでなく、社会の仕組みがそうなってしまっている、ということにもあると思います。

親が生きづらさを抱えていると、子どもも生きづらくなってしまうものだと私も思います。日本には、どんな家庭の子どもも生きづらさを感じることなく、成長していけるだけの豊かさがあると思います。どの母親も、シングルマザーになる可能性がないわけではないし、教育費の家計負担などはすでに多くの家庭にとって不安となっています。シングルマザーの困難を軽減していくことは、社会全体にとっても、大切なことだと思います。


インタビューの中で中山さんは時折、「自分にはまだお母さんの気持ちがわからないと思う」と率直に話していましたが、それでも一生懸命、保護者の気持ちに寄り添おうとしていました。

インタビューの聞き手であった筆者自身も、母親の気持ちがわかる、と言いながら、シングルマザーの困難をよく理解しているとは言いがたく、社会からも見過ごされがちなのではないかと感じます。子どもの貧困とは何か、大人の貧困とは何か。私たちも何をすべきか考え続けなくてはならないと思います。



聞き手・野口由美子