2018年4月26日木曜日

やる気を出させる言葉となくす言葉

子どものやる気を出させるには!? としょっちゅう頭を痛めている私ですが、ついこの間、やる気を出す秘訣を教えてもらったような体験をしました。


学校行事は、親の「やる気」次第


私が住んでいるオランダは国王の日ムード(4月27日はオランダ国王の誕生日で、日本の天皇誕生日とは違い、かなりのお祭り騒ぎになります)。子どもたちの学校でも国王の日にちなんで、オランダの昔ながらのゲームをしてお祝いする行事があります。

こういう学校行事に必要なのは親のボランティア。ゲームの準備や後片付け、子どもの補助をする手伝いが募集されます。

私の印象では、保護者の参画度は完全に3つに分かれます。

  • 学校への関心が高く、「もちろんやります!」と当然のことのようにいつも参加する「レギュラー」
  • そこまではできなくても、「何もしないのも悪いし」とか「学校に来ると子どもも喜ぶし」とか思いながら、可能な限り参加する「準レギュラー」
  • 何もしない、または、できない「完全不参加」


学校運営をみんなで公平に分担しようという考えは全くなく、やる気のある人がやれば良いというのが信念(本来ボランティアってそういう意味なのでしょうけれど)のようです。でも、やはり親のボランティアがうまく集まらないこともあります。

今回の国王の日イベントはボランティアの集まりがあまり良くなかったようです。


やる気がなくなる言葉


私は、というと、熱心に働く人の傍で何もしないのも決まりが悪いので、「都合がつけば」参加している「準レギュラー」で、今回は事前準備の協力を申し出ました。

作業は、子どもがゲームをする度にスタンプを押す台紙作りでした。協力できる親が家に材料を持ち帰って作ります。

私はボランティアを取りまとめている受付の方のもとへ、材料を取りに行きました。

「あの、国王の日の準備で材料を受け取りに来ました。」

「あなたが担当ね。はい、これ。見本と同じように作って月曜に持って来て。」

と早口で事務的にそう言うと、受付の方は私に材料の入った袋を手渡しました。その袋は予想以上に重く、

---これ全部私ひとりで作るのかあ。そんなに時間取れるかな、ちょっと困ったな

と内心思ったのですが、受付の方は忙しそうで有無を言わさぬ感じです。私も返す言葉もなく、重い袋を受け取るとそのまま退散してしまいました。

私は、仕事を押し付けられたような、ハズレくじを引かされたような気分でした。もっと他の人も手伝えば楽になるのに、と恨みに思ってしまうと、その日は手をつける気もなくなり、材料はそのまま放置してしまいました。


やる気を出させる言葉


翌朝、受付の前を通ると、昨日と違う担当の方がいました。彼女になら、私のこの状況がわかってもらえるかも、と私は受付で言ってみました。

「昨日材料を受け取ったのですが、ちょっと多すぎて困っています。」

彼女は明るく言いました。

「そんなのいいのよ! できない分はそのまま私に戻してちょうだい。私も暇な時間見つけてやれるし、子どもがアートの時間にやってもいいと思うのよね。どうにかなるから。できる分をやってくれるだけで本当に助かるから。」

昨日とは全く違う言葉に、私はほっとしました。でも、彼女が残りの作業を引き取ることになるのだろう、ということもなんとなくわかりました。

まずはどれだけできるかやってみよう、と私は家に帰って材料を広げました。膨大な量に思えましたが、実際に数えてみたら80枚分。台紙を貼って、紐を通して縛って、試しに1つ作ってみました。時間を計ってみたらせいぜい40秒。全部作っても1時間もかからない。実は大した作業ではなかったわけです。手をつける前に、やる気をなくしていた時にはわかっていませんでした。

結局私は、「できる分だけやればいい」と言われていたのに、全部の作業を終わらせていました。

完成品。
当日は、子どもがこの台紙を首から下げてゲームをするそうで、地道な作業でしたね。


締め切りの月曜に、できた完成品を受付で手渡しました。

「ありがとう! 助かるわー!」

受付の方はとても喜んでくれました(私のやる気を出してくれた方です)。感謝されるとやっぱり私もうれしかったです。

今回のやり取りで改めて実感しました。声の掛け方ひとつで、相手の気持ちは大きく変わってしまいます。これって大人も子どもも同じかも、とふと思いました。


大人も子どもも同じこと?


「手伝って!」

と子どもに言うと必ずと言っていいほど、

「えー、嫌だよ、今マンガ読んでるんだもん!」

と、うちの場合は全くダメです。でも、

「ちょっと助けてくれる? 今ママ、他にもやらなくちゃいけないことがあるから、できないの。全部できなくてもいいし、後からママも一緒にやるから。」

というような声掛けだと、息子がまず、仕方ないか、という感じで黙々と手伝い始め、いつの間にか娘も一緒になってやっている、ということが多いです。

子どもでも大人でも、相手に何か頼むときはちょっとした気配り、大切にしたいです。


野口由美子

2018年4月19日木曜日

日本の小学校1年生、無理してない?

「小学校1年生の息子が学校へひとりで行けない。」

今から5年ほど前のことになるのですが、私が日本に住んでいた時のこと。イギリス駐在から帰国して間もない方から、日本でお子さんの小学校の送り迎えをしているという話を聞きました。その子は、すでにイギリスでは小学校に通っていたそうですが、親がいつも送迎していたこともあり、子どもだけで学校に行くことをいやがったそうです。


登校しぶり、親は「困る」? それとも?


私はその話を聞いて、

「それは大変ですね。」

という言葉をかけていました。その時私が思ったことは、

「急には無理なんだろうなあ。親がいつも付いて行くわけにもいかないだろうし、困るだろうなあ。」

というようなことで、日本と海外では学校生活もいろいろ違いがあるだろうし、うまく慣れることができないと困る、と感じました。

しかし、他の方がかけた言葉は、私と全く違うものでした。

「そうよね。親が一緒に学校に付き添えばいいわよね。」

私が「困る」と思っているのに対して、親が困るほどのことではない、と逆のことを言っているように聞こえました。

当時の私はその言葉に違和感がありました。周りのみんなができていることを自分だけできないとしたら、子ども自身だって困っているのではないだろうか。小学生の親が学校に送り迎えしていたら過保護にならないかしら。

この違和感はずっと私のどこかで引っかかっていたのですが、その後打ち消されていくことになります。


日本の小学校1年生、急すぎる親離れ?


「日本の小学校1年生ってハードル高すぎない? 子どもだけで学校に行ったり、放課後出かけたり。なんであんなに急に親から離れなくてはならないのかしら。子どもにとっても親にとっても、そんなに簡単なことではないと思う。」

日本で子育て経験のあるフランス人の友人が言いました。

フランスでは、7歳の子がひとりで学校に行くのはあり得ないことだそうです。日本の登下校の光景を見て、日本の安全、治安の良さに感心しつつ、7歳の子にとって小学校入学が高い「ハードル」になっているように感じ、戸惑ったそうです。


小学校1年生がひとりで登校、あり得ない


親が小学校に送迎しなくて当たり前、と思っていた日本での私ですが、小学校へ親が送迎するのが当たり前、という国に実際に住んでみて、ようやくその「ハードル」の意味がわかりました。

今住んでいるオランダも、小学校は親の送り迎えが必須です。特に法律などのルールがあるわけではないのですが、当然のこと、となっています。家から学校が見えるくらいの近所でも、しっかり親が送り迎えしています。のどかで治安も良く、交通量の少ない住宅街でも親が一緒。安全上の理由だけではないようです。(仕事で親が送迎できない場合は、学童保育付きのサービスを利用したり、シッターに送迎を頼んだりしているそうです。)

ゆっくり自立、子どもの気持ちが中心


10歳くらいから、だんだん、ひとりで学校に通う子が出てくるそうですが、それはその子次第。子ども自身が親と一緒に学校に行きたいのであれば、小学校卒業までずっと親と一緒に登下校する、というのが基本スタンスのようです。

毎朝、オランダで子どもの送り迎えしているわけですが、小学校高学年くらいの子が父親や母親と一緒に自転車に乗って学校に来たり、学校の入り口で親子がハグしたりしている様子を見ます。ひとりで来る子もいるけれど、親と一緒の子もいる。

日本との文化の違い、を感じますが、それ以上に、今の時代だからこそ、子どもは時間をかけてゆっくり自立していけばいいのではないか、と思えてきました。みんな一斉に1年生になるけれど、子どもの成長過程は、みんな比べようがないくらい違うもの。そういうものだと、私が本当に理解できたのはつい最近です。5年かかりました。


子も親もマイペース


今なら子どもに、

「学校に行きたくない。ママと一緒にいたい。」

と言われても、それは「困った」と思わなくなりました。

「そうだよね。行きたくないって気持ちになることだってあるよね。」

学校に行くということだけでなく、学校で過ごす時間、先生のこと、友だちのこと、子どもにだって特別な悩みがあったり、ただ漠然とした不安があったり、朝はそういうネガティブな気持ちが大きくなるのかもしれません。いつも前向きな気持ちでいた方が幸せだろうけど、前向きになれなくても、その気持ちを否定してはいけないと思うようになりました。

最初からハードルが越えられなくても、まだまだこれから、子どもには子どものペースがあると思って、そういう日は学校に行く前に子どもの話を聞いたり、私もその日に作ったお弁当の話をしたりしています。

そういう朝の時間は意外と楽しいです。いつもの慌ただしい朝から私自身も逃避しているような気持ちです。もっと早く気付けていればよかった、と思いますが、子どもたちもまだまだこれから、マイペースで私も一緒に進んでいこうと思います。



オランダでもきれいな桜が咲きました。


野口由美子

2018年4月12日木曜日

小学生に必須!? ハリー・ポッター本が読めるようになるには

今の子たちにとって、大切な児童文学作品って何だろう。

あまり読書しない小学生の息子が気になる私ですが、本に接する環境から整えようと思いながら、ふと疑問がわきました。学校の友達が持っている本を見せてもらったり、友達の親御さんの話を聞いたり、いつもどんな本がいいかと探っています。子どもの学校は英語が使用言語ということもあり、英語で児童書をほとんど読んでいない私にとっては新鮮な世界。いろいろな作品があります。でも、その中で重要な作品をひとつ挙げるとしたら、やっぱり、

ハリー・ポッター

なのかな、と思います。

主人公ハリーはもうすぐ11歳。両親を亡くし、親戚の家ではしいたげられ、恵まれているとはいえない環境。ハリー自身もいたって普通、というよりむしろ、ぱっとしない感じ男の子。ある日、ホグワーツ魔法学校から入学許可証が届き、自分が魔法使いであることを知る------

大体のあらすじは知っていましたが、私は今まで全く読んだことがありませんでした。

実際息子の周りでは、映画で満足して本はあまり読まない子、両方どっぷり楽しむ子、ハリー・ポッターしか読まなくなってしまうくらい本に夢中になる子、どれくらい好きになるか違いがありますが、誰もが一度は触れる世界のようです。

友達の中でも7歳くらいから本にチャレンジする子が出てきて、息子もずっと気になっていたみたいでした。


ハリー・ポッターは難しい?



周りの子達はみんな知っているハリー・ポッターですが、実際に本を開いてみると、実は他の児童書に比べても難しい、です。息子にはかなりハードルが高かったです。

魔法の世界のイメージを広げるために、文章が独特、男性的というか硬い感じがしますし、魔法にふさわしい非日常的な言葉を多用します。巻を追うごとに話も長くなっていきます(日本語版と英語版はかなり雰囲気が違うのですが、10歳前後を対象としているかな、というところは同じように思いました)。

我が家ではオーディオブックを使って、朗読を聴きながら本を目で追っていくという方法で、読み進めることができました(息子は読むというより聴いている感覚だったようですが、読書の助けになっていたと思います)。

オーディオブックや読み聞かせは、本をあまり読んだことのない子にもいい導入になるようで、おすすめです。


何歳から読める?



息子の読解力からするとちょっと難しかったハリー・ポッターでしたが、何歳から読むのがいいのか、というと、簡単に年齢では区切れないようにも感じました。

多分、読解力が優れている子は、7歳でもハリー・ポッターを読めると思いますが、全部理解するのはやはり難しいのでは、という感じがします。闇の魔法使いとの戦いとハリーの両親にまつわる過去の謎について、伏線とその回収が長いストーリーの中で語られることになるので、7歳で理解するのは難しいと思います(10歳以上でも難しい場合もあるかもしれません)。

でも、その子が謎解きの部分をあまり理解できなかったとしても、まだハリー・ポッターの魅力は衰えないと思います。むしろそんな子でも惹きつけられる魅力を大切にしたい作品です。


子どもにとってハリー・ポッターの魅力は



たとえば、1作目の「ハリーポッターと賢者の石」。映画にも出てくるシーンで覚えている方も多いと思いますが、ハウスポイントという学校の制度にまつわるエピソードがあります。

ホグワーツ魔法学校の生徒は全員、学年を超えて縦割りで4つのハウスに所属します。良い行いをするとハウスポイントが加点、逆に悪いことをすれば減点。ハウスごとに1年間の総得点を競うという制度があります(イギリスの小学校では実際によくある制度で、息子たちの学校でもハウスがあります)。

「賢者の石」では、トロールに襲われ命からがら戻って来たハーマイオニーに対して、先生がハウスポイント減点処分を下します。そうかと思うと、学年末にいきなりハリーたちに大量のポイントを一気に与えて、ハリーたちのハウスが逆転優勝するというラストがあります。

私がこのシーンを読んだ時は、

「ええー、先生がこんなふうにハウスポイントで生徒を操ってひどくない!?」

と完全に興ざめしていました。しかし、息子は、

「ハーマイオニーは悪かったらから、ポイントがマイナスになって当然だし、ハリーたちはがんばったから、最後にハウスポイントがもらえてよかったと思う。」

先生の判断をそのまま受け入れて、ラストシーンに心から喜んでいました。こういう学校生活のエピソードを素直に楽しめ(私のような「大人」はもうダメなんですね)、ごく普通の少年だったハリーがシリーズを追うごとに成長していく姿と自分を重ねて、一緒に成長しているような気持ちになれる、そういう子から楽しめる作品なのだと思います。



主人公に共感する読書



難しい非日常的な表現や謎解きの伏線などはすっ飛ばして、ハリーに共感できる年齢が最初の適齢期なのだと思います。先生といった大人に批判的になる思春期に踏み出すと、ハリーに共感しながら読むことができなくなってくるかもしれません。

思春期の手前、10歳前後までが、一番素直な気持ちで主人公に共感したり、ドキドキワクワクしたりできるような気がします(だから、児童文学の主人公は10歳くらいの子どもが多いのでしょうね)



本も映画も、スタジオツアーも



本だけではなく、映画でも楽しめるところがハリーポッターのいいところ。本の文章が難しくても、映画のイメージが読書の助けになります(映画よりも本の方が、学校生活の話など登場人物が生き生きと描かれるシーンが多いので、両方知った上で本の方が楽しい!と思えたら、私としては大成功、なのですが)。

もっとハリー・ポッターの世界を楽しみたいと思い、家族でロンドン郊外のハリー・ポッターのスタジオツアーにも行ってきました。

Warner Bros.Studio Tour London -The Making of Harry Potter

実際に映画撮影で使用したセットや衣装、小道具を見学しながら、映画のシーンを追体験したり、特撮や撮影技術の仕組み、俳優やスタッフの裏話を知ることができたり、家族で楽しめる内容になっています。


ホグワーツ・エクスプレス。
本物の機関車を改造していて、実際に中に入ることができます。



ホグワーツ魔法学校。
実際のお城か、フルCGか、と思っていましたが、精巧なジオラマで撮影されたそうです。

世界中からお客さんが来ていました。

チケットは事前予約制で入手困難。スタジオ内にはハリポッターのコスプレをした子どもたちがたくさん来ていました。ハリー・ポッターの人気はまだまだ衰えていないようです。やっぱり小学生ならハリー・ポッターを読むべき!と思いました。


野口由美子

2018年3月27日火曜日

どうせやるなら、と子ども向け知育アプリをいろいろ試してみた

スマートフォンやタブレットに子どものためのゲームを入れていますか。 

私は、必要なし!とあえて入れてませんでした(私自身あまりゲームをやらないこともあり)。

でも、きょうだい2人のばらばらなスケジュールを私1人で送迎対応しているため、片方の子どもに中途半端な待ち時間ができてしまうことが多く、その待ちぼうけの時間に何か遊べる物があるといいかも、と結局アプリのゲームを解禁することにしました。 

もちろん、子どもは大喜び。

 子ども向けアプリといっても内容はいろいろ、質もかなりの差。数もたくさんありますよね。でも、いいと思えるものはなかなか見つからなかったです。

子どもにせがまれてイントールしてみても、 

「こんなのやるならマリオをやった方が面白いでしょ!」 

とすぐに消してしまったものもありますし、私が良さそうと思って子どもにすすめても、

「なにこれ、つまらない。」 

と子どもからは見向きもされなかったアプリもたくさんありました。 

友達が好きなゲームも参考になりました


我が家では結構試行錯誤が続きました。そこで、アプリを探している方におすすめしたい、大人も子どもも納得のアプリ(しかも無料で試せるもの)を紹介したいと思います。

今回は算数的な要素が強いゲームを2つ。 


Think! Think! シンクシンク 


ジャンル: 思考センス育成教材 
対象: 5歳から10歳 

Think!Think! シンクシンク
Think!Think! シンクシンク
開発元:株式会社花まるラボ
無料
posted withアプリーチ
 ・概要

抽象的に思考する上で土台となるイメージの力、思考センスの5大要素「空間認識」「平面図形」「試行錯誤」「論理」「数的処理」を遊びのように楽しみながら伸ばす。  

・親目線では 

花まる学習会公式教材ということもあり、かなり有名だそうですね。問題の質はかなり高いです。空間や平面図形を認識する問題はいいものが多く、ゲームの特性が生かされています。

1人がプレイできる時間は1日10分(ゲーム3つ)と制限されているところも使いやすいです。でも、3分の制限時間の中でできる論理的思考や試行錯誤は限りがあるので、やはり低年齢向けなのかもしれません。 

・子ども目線では 

6歳娘と9歳息子ともにかなり面白いようで、半年くらい熱心にやっていました。 

問題を間違えると、次の問題がやさしくなるのですが、自力で問題の考え方が理解できるようにうまく配慮されているので、それぞれのレベルに合わせて、「できた!」という手応えを感じられるようになっています。2人とも図形や空間把握はあまり得意ではなかったようですが、楽しんでやっていました。 

レベルが上がる、メダルがもらえる、新しいゲームが追加される、という要素は子どもが続けてやりたくなる動機付けになるようで、そういう工夫は全てなされています。 

制限時間内に瞬発力で回答を出す、というゲームなので、小学生くらいの子だとしばらくやっているうちに、もう少しじっくり考える問題がやってみたくなるかもしれません。そのあたりでやめてしまうようでした。




数学の王者ジュニア 


ジャンル: 算数ゲーム
対象: 6歳以上 
数学の王者ジュニア (Lite)
数学の王者ジュニア (Lite)
開発元:Oddrobo Software AB
無料
posted withアプリーチ





・概要 

算数の問題に答えたり、パズルを解いて中世の世界で出世していく算数ゲーム。多数の分野の問題を解くことにより、色々な角度から算数の概念を身につけていく。 

・親目線では 

娘は算数が不得意なため(指を折って足し算や引き算をすることが今後も続きそうな状況)、使ってみました。数を数えるところから始まるので、幼稚園生からできる内容になっています。カウント、足し算、引き算、掛け算、割り算などの分野があり、分野はやりたいものからプレイできます。算数の計算練習系のアプリは足し算だけ、掛け算だけ、といった特定の分野に限ったものが多いのですが、これは娘も息子もできる幅広さになっているところも良く我が家は有料版も購入しました。 

・子ども目線では

娘のように、指を折って数えていると時間がかかって、正解できても得点が伸びません。

「点数が増えてレベルが上がるように、もう1回やってみようか。」

と繰り返しへの抵抗感が薄れるようで、計算に慣れていない小学校低学年くらいまでの子が一番楽しめるかもしれません。

算数が好きな息子も気に入ってやっていました。計算の回答を早く出すことで高得点が得られるので、小学生で計算が好きな子はすぐに最高レベル(王様)になってしまいます。ちょっと物足りないかもしれません。このジュニア版より上の対象年齢の数学の王者もあるので、それも試してみようと思っています。


今回はこの2つだけ紹介しましたが、探してみると、本当にいろいろあるものですね。子どもがゲームを楽しみながら、算数など勉強を「好き」になってほしい、という大人の下心が見えるゲームというのはつまらないものばかりでしたが(と思いますよね?)、かなり洗練されてきたと思いました。まだまだ新しいタイプのものが出てきそうです。

小学生くらいになるともっと手応えがあるゲームがいいのかも、とちょっと違うジャンルのゲームも最近やっています。また紹介したいと思います。


野口由美子

2018年3月23日金曜日

海外で子どもの日本語教育。「これ以上良い方法は知りません」と先生が勧めたこと

海外に住んでいる子のための日本語教育。日本語を話す環境や日本語を習得する意味、子どもの個性や能力もさまざまなので、その子自身に合った方法を見つけていくしかない、あまりにも問題が個別的なので、親の悩みは深いものです。

私たち家族のように一時的に海外に住んでいるに過ぎない場合はまだそれほど悩むことも少ないのかもしれませんが、海外に永住し、日常生活で日本語を使う機会が少ない家庭では本当に苦労しながら、日本語教育を続けている話を聞くことも多く、その努力は頭が下がる思いです。


日本語補習校の先生からのアドバイス


ちょうど先日、娘が日本語補習校の年長さんクラスを修了しました。補習校の学習スタイルはいろいろありますが、子どもたちの通う補習校は厳しいタイプ(日本の学習指導要領に準拠。ついていけないと判断されると留年)ではないかと思います。そんな補習校の年長さんクラスなので、先生もとても熱心でした。担任の先生はいつも明るく優しく、子どもたちに好かれていて、親からは絶大な信頼が寄せられていました。

その先生がクラス初日に言いました。

「家で是非、日本語の本の読み聞かせをたくさんしてください。日本語を身につけるのに、これ以上良い方法はまだ知りません。」

ちょうど私は平日校(ブリティッシュ・スクール)でも親が子どもと一緒に本を読むことは効果的という話を聞いたばかりだったので、この先生の言葉は印象に残っていました。やっぱりか、と。


読み聞かせは何冊?


毎週の宿題のひとつは「おはなしまらそん」です。読んだ本を記録していきます。


「おはなしまらそん」には、読んだ数だけ先生がスタンプをくれます。


寝る前に本を1冊か2冊読んであげる、というこれまで私がやっていたことをそのまま続けて、「おはなしまらそん」を記録していました。

毎日少しずつ続けていければいいだろう、という淡々とした「おはなしまらそん」でしたが、夏休みを過ぎて、大きな変化がありました。


もっと本が好きになる


補習校で使うことができた日本人学校の図書室が整理のために閉鎖され、その代わりにクラスの有志の親同士が自宅の絵本を持ち寄って貸し借りが始まったのです。

各家庭からおすすめの絵本が集まり、誰もが知っているロングセラー、隠れた海外名作の翻訳などなど、私も毎週7, 8冊くらい借りました。

この貸し借りが始まってから、急に娘の絵本に対する態度が変わりました。今までも絵本を読んでもらうのは好きでしたが、

「これも! これも! 今日読んで。」

今まで以上にたくさん読みたがるようになりました。借りてきた本は一晩で一気読み。借りてきた本が終わってしまうと、自分の本棚からあまり読んでいなかった本を取り出して、

「もっと読みたい。これも読んで。まだ眠くないから!」

読みたい絵本の選り好みが激しく、気に入らない本は見向きもしなかった娘が、いろいろな本を選ぶようになりました。

そして「おはなしまらそん」のペースが急に上がりました。毎月読む本の数が15冊以上増えていきました。絵本の貸し借りが続いている間、ペースは全く落ちませんでした。


子ども同士の関わり合いにも


「〇〇くんの本を読んだ。おもしろかった。」

と子ども同士でも借りた本のことを話すようになり、友達の本を読むのは子どもにとっても特別な体験だったようでした。友達と共通の話題ができるというのもよかったと思います。

私も他の子におすすめしたい本を選んで毎週持って行きました。貸し借りをやっていた5ヶ月ほどの間にのべ70冊以上の本を他の子に貸すことができました。自分の子どもたちしか開くことがなかった本が、たくさん共有できたのも楽しかったです。自分の子どもが好きな本を他の子も気に入ってくれるというのはうれしいものです。

たくさんの本が身の回りにあることが、子どもにとってこんなに刺激になるのか、想像以上の効果でした。

日本にいたら、本屋さんで本を買ったり、図書館で借りたり、ということができたと思います。そんなことさえ難しい状況での苦肉の策だったとはいえ、友達同士での貸し借りというのがむしろ良かったと思います。

家にあるおすすめ絵本の貸し借り。もし、絵本が好きな子ども同士のグループがあったら、是非おすすめしたいです。


野口由美子

2018年3月8日木曜日

海外生活に疲れたかも、と思う時

早いものでヨーロッパで暮らしも、もう5年が過ぎました。いまだに、日本とは違う文化、考え方に戸惑うことがあります。相変わらず自分は海外生活に向いていない、と思いつつ、それでもなんとかなるのだから、大丈夫、すっかり気が緩んだ生活を送っている私でしたが、そういう時に失敗はやってくるものですね。これまでで最悪の大失敗をしてしまいました。

娘の友達はイスラム教徒


先日、娘の仲良しの男の子がうちに遊びにくることになりました。娘が男の子を家に呼んで遊ぶのは初めてのことで、娘だけでなく私も楽しみにしていましたが、ちょっと気がかりなことがありました。

その子のお母さんは、いつもヒジャブを被っています。イスラム教徒の家庭の子。

子供同士で家を行き来するようになると、ほとんどのお家では、食事をご馳走になってきます。食事の時間が早い家庭が多いので、放課後から夕食の時間も一緒にしてもらうことが多いのです。他の子と区別することなく、その子にも同じようにうちで夕食を食べて行ってもらいたいけれど、いいのだろうか。イスラム教徒の方を家の食事に招待したことがなかった私は、確認すれば大丈夫だろうと思い、その子のお母さんに聞きました。

「豚肉はダメ。ハラルの肉か鶏肉は大丈夫だけれど。」

「わかった。息子さん、お寿司好きって言っていたから、かっぱ巻きとサーモンのお寿司を夕食に作ろうかな。」

「寿司!! 息子は大好きよ。きゅうりとサーモンなら大丈夫。」

そんなやりとりをしていました。

日本にいた時は巻き寿司なんて自分で作りませんでしたが、
今は寿司好きの友達が来る度にお寿司を巻きますね。


鶏肉はOK、という思い込み


当日、お寿司は大好評で、作っていた分があっという間になくなりました。その男の子は私の予想以上の食欲で、

「まだお腹空いてるなー。もっとないの?」

「ごめん。作ったお寿司は全部食べちゃった。どうしようか。」

冷蔵庫をごそごそ探して、私はチキンナゲットを見つけました。

「これどうかな?」

「豚肉入っている?ゼラチンは?」

男の子は慎重でした。心配そうだったので、一緒にパッケージの原材料を見て豚に関する表示はないことを確認しました。そして、私はその子にチキンナゲットをあげてしまったのです。

ハラルとは? 私の完全な誤解


その日の夜にその子のお母さんからメッセージがきました。
今日はありがとう、息子も楽しかったと言っていた、という言葉に続いて、

「息子がお宅でチキンナゲットを食べたって言っているけれど、本当?」

と書いてありました。

はっとしました。

私はそのメッセージを見て、初めて自分がやってはいけないことをしたと気づきました。

私はハラルの意味がわかっていなかったのです。

鶏肉は大体の人が食べられるから無難というイメージがあったので、お母さんの言っていることを勘違いしていたのです。本当は鶏肉もハラルでなくてはならないという意味でした。

私はひたすら謝罪のメッセージを送るしかありませんでした。このことがどれくらい彼らにとって不快なことなのか、私がどれくらい罪なことをしてしまったのか、それすらも私にはよくわかりませんでした。

犬が好きな人に犬の肉を食べさせるような感じだろうか。虫が入った食事を出すような感じなのか。いろいろ考えてみても、自分の日本人的な信仰心では想像できそうにありません。どうしたらいいかわからず、その日の夜はあまり眠れませんでした。

逃げたい気持ちとわかり合いたい気持ち


数日後の朝、教室の前でそのお母さんを見かけました。私はこっそり逃げ出したいという気持ちが一瞬よぎりましたが、思い切って彼女の肩をたたきました。もう言葉も見つからなかったのですが、あの日の夜のメッセージと同じことを繰り返し、ひたすら謝りました。

「それはもういいの。息子はまだ小さいから、この違いはわからない。私は絶対やらないことなのは確かだけれど。この子もだんだん理解していくことだから、わからない今はいいの。私は親だから、この子が何を食べたか知っておきたかっただけ。何よりも、息子は〇〇(私の娘)の家で遊んでとても楽しかったって喜んでいたのよ。」

その言葉を直接聞いて、少しはほっとすることができました。やっぱり直接声をかけてよかったです。イスラム教でも信仰に対する考え方はいろいろ違いがあるのだろうと思いました。そのお母さんはヨーロッパ生活が長いので、食事に対してもある程度許容できる幅があるのかもしれません。海外で生活を続けることに、私の比ではない苦労があるのだろうし、その中で身につけたのかもしれない寛容さに救われたような気がしました。

海外生活は居心地の悪さに疲れる、けれど


それからさらにしばらく経った今、娘の口からその男の子の話題が時々出てきます。

「いじわるされた。もう遊びたくない!」

というケンカの話が多く、多分その男の子は娘のことを時折からかいたくなるようで、以前と全く変わらない「仲の良さ」のようです。でも、今はそういうケンカの話を聞くと、その子と疎遠になったら気が楽になるんだけれどなあ、と思ってしまう私がいます。

そして、その次の瞬間に、そんな簡単に友達なくしてどうする? 次にその子が遊びに来たら、調理器具やお皿だって完璧に彼のために準備してあげる! という気持ちで、娘を励ましたくなる自分もいます。

自分が意識さえしていなかったことで、失敗してしまう。文化の違いに戸惑ったり、時には気まずくなったり。要領の悪い私の海外生活は、そういうことの繰り返しで成り立っているようなものですが、居心地の悪い所にいるから初めて気付けることがある、と改めて思い直しています。


野口由美子

2018年3月2日金曜日

日本は豊か? ランキング下位の国で子どもが見たもの

先日家族旅行で初めてのアフリカ大陸、初めてのイスラム教国を体験してきました。モロッコのマラケシュ。アフリカ大陸では旅行しやすいといわれているし、ヨーロッパでも日本でもない国で違う文化に触れられていいのではないかなあ、イスラム建築も見たいし、モロッコ料理も食べてみたい、くらいの気持ちでした。

旅行しやすいといっても、治安は決して良くないはず。スリ、ひったくり、ぼったくりのタクシーやお店、無理な客引き、食あたりなどなど、いろいろトラブルを想定していました。日本人の子ども連れなんてすごく目立ちそうです。


アフリカ大陸に初めて来た子どもの感想


実際、街に着いてみると、人が多い所では不用意にカメラや携帯電話を取り出すのは危ない雰囲気。タクシーに乗っても、ここ車通れるの? と思ってしまうようなひどい舗装の道、歩行者とスクーターでごった返す中を通って行きます。交通ルールがあるのか、どういう秩序で車が通っているのかよくわからない混沌とした感じ。子どもたちが到着して早々に言いました。

「ここ好きじゃないよ。帰りたい。」

私は街の雑踏を見て、ベトナムやカンボジアを旅行した時のことを思い出していましたが、経験が少ない子どもたちにはショックだったようです。

街の中で息子と同世代くらいの子どもたちが時折息子に声をかけてきます。

「チャイナ!」

「あっち行け。」

なんでそんな英語を知っているだろう。不思議に思う私の隣で、息子は反射的に言葉がわからないような、聞こえないようなふりをしてそのまま足早に通り過ぎました。もちろんいい気はしなかったと思います。

逆に娘は、どこでも男女問わず大人に人気(?)でやたら声をかけられたり、頭を撫でられたりしていました。うちの子、猫じゃないんですよ、と確かめたくなるくらいで、子ども好きの人が多いのかも。娘はそれが恥ずかしかったようで、ずっと隠れるように歩いていました。

道路もきれいじゃないし、がれきの山のような廃墟が至る所にある。水道の水も飲めないし、お店で売っている物でさえ食べていいのか不安。人々もあまりきれいな格好をしていない。その様子を見た息子が言いました。

「変だよ。オランダとも日本とも全然違うし。」

「今まで旅行で行った国とは全く違うよね。きれいじゃないし、ちょっと怖い感じがする? 貧しいって思う?」

無言で大きくうなずく子どもたち。ここでパパがはっきり言いました。

「いや、これくらいか、もっと貧しい国が世界のほとんど。これが普通か、ちょっといいくらいなんだよ。今まで行ったことのあるヨーロッパの国や日本は世界のほんの一部。その国に住んでいる人は世界の人口の2割もいない。日本の方が特別なんだよ。みんなで一緒にいろんな所に行ったと思っていたけれど、世界のほんの一部の、豊かでいい所しか行っていなかったんだよ。」

特に息子にとっては衝撃だったようです。

(こんな子どもたちの話ではモロッコの印象が悪くなってしまいそうですが、実際には旅行中トラブルもなく、しつこい客引きや詐欺に狙われるのでは、と思っていた私には若干物足りない(?)くらい、大丈夫でした。モロッコ旅行自体はとてもよかったのです。)




バヒア宮殿は美しく、子どもも見入っていました。




マラケシュ一番人気の観光地、マジョレル庭園はむしろ洗練されていました。


リアド(宿)から一歩出ると、車も通れないような狭い迷路の道と廃墟。

日本は豊かな国?


息子は、今までの旅行の経験から、日本は世界で真ん中くらいの豊かさだと思っていたそうです。

私は息子の「真ん中」という感覚が面白く思い、試しに国連による人間開発指数のランキングから、今まで行ったことのある国の順位を見てみました(豊かさをどう比較すべきか難しいですが、とりあえず)。

1位  ノルウェー
2位  スイス
4位  ドイツ
5位  デンマーク
7位  オランダ
8位  アイルランド
9位  アイスランド
14位   スウェーデン
16位   英国
17位   日本
20位   ルクセンブルク
21位   フランス
22位   ベルギー
26位   イタリア
27位   スペイン
29位   ギリシャ
30位   エストニア
37位   リトアニア
41位   ポルトガル
44位   ラトビア
45位   クロアチア
56位   ブルガリア

123位  モロッコ

(出典: 国連開発計画 「人間開発報告書2016」


今まで私たちが旅行したヨーロッパの国を並べてみると、日本より上位が9カ国、下位が12カ国ありました(指数を見ると、日本と順位が近い国の差は僅少なので、あまり上下の関係はないかもしれません)。行ったことあるといっても、所詮私たちは言葉もまともに話せない旅行者で、行き先はほとんど観光地やリゾート地のような所だったはず。その国のほんの一部を断片的に見ただけだったのに、息子の感覚が意外と当たっているのに驚きました。

そして世界のランキングはもっと下まで、188位まで続きます。息子だけでなく、頭ではわかっているはずの私も今更ながらショックでした。


なぜ自分は豊かで、彼らは豊かでないのか


やはり子どもにとっては、この歴然とした豊かさの差が理解できないようで、その後毎日のように質問攻めにあいました。私も自分が学び直すつもりで、世界史の近代史をマンガで一緒に読み、経済や政治の仕組みの話を何回もしました(息子はまだきちんと理解できていないようで、なんとなく、ちょっとわかったかも、という感じでしたが)。

こんなモロッコ旅行の話を、私の父(子どもたちのおじいちゃん)に話していたら、こんなことを言われました。

「世界の平和など、どこの世界のことなんだ、ということ。きっとこの子たちは何かをやり始めると思います。多分黙っていないよ。」

もちろん、私の父は、子どもたちが偉人みたいに「特別」で立派な人間になる、と言いたかったのではないと思います。今は世界の格差が広がっているかもしれない。でも未来には、子どもたちのような「普通」の人間が「普通」に行動することで、世界をよくすることができるようになるのではないか、そんな意味に聞こえました。私は父とあまり話さないのですが、父に少し希望をもらったような気がしています。


野口由美子