2016年7月15日金曜日

「ファインディング・ドリー」に感動する理由


子どもたちはもう夏休み。ちょうどオランダでも公開されている「ファインディング・ドリー」を子どもたちと一緒に観に行きました。



日本でも2016716日公開なので、夏休みにお子さんと観に行こうと計画している方も多いと思います。(この記事では、映画を観る楽しみを邪魔しない範囲で、と思っているので、ストーリーにはあまり触れません。安心してください。)

子どもたちの感想は
「楽しかったー!」
何が楽しかったか聞くと、
息子8歳は
「アシカのふたりが面白かったよね。」
5歳は
「ぜんぶ!!ドリーはパパとママとハグしていたね。」

単なる、ハッピーな家族愛、ではありませんでした

いつも通り、ピクサーらしい、ハラハラドキドキ、笑いありの展開が続く、楽しいお話にのせて、家族愛というメッセージを伝えてくれます。子どもたちはそのストーリーを素直に楽しんでいましたし、親子が抱き合うシーンに家族愛を感じていたようです。涙もろくなった私は、情けないことにすぐに涙してしまいました。

でも私にとって、この映画の良かったところはそういう、いつものピクサーディズニー路線、だけでなく、さらに進んだメッセージを感じさせる映画だったことです。

驚きだったのは、主人公のドリーです。1作目の「ファインディング・ニモ」では、ニモの父親がメインだったこともあり、私にとってドリーはおっちょこちょいのわき役という印象だったのですが、本作では、「極度の忘れんぼう」、「物忘れが多い」、だからおっちょこちょい、というレベルを超えて、「記憶障害」というハンディキャップがあることを、観ている側が認めざるを得ないストーリーになっています。

ニモの片方のヒレが小さいという身体的な障害は、1作目では父親のトラウマや過保護に結び付けられていましたが、本作はドリーのハンディキャップは、ドリーの親にとって、深刻な問題には結び付けられていません。むしろハンディキャップが家族の愛情を深めているように感じられます。

娘の友達も「ドリー」

私は映画でドリーの両親のふるまいを観て、娘と同じクラスだった母子を思い出しました。
その女の子は、発達障害で、それが理由でその子のお兄さんと同じ学校に入学することができなかったという経緯があったのですが、娘と同じクラスにいました。その子の話す言葉がはっきりしなかったり、癇癪を起こしたり、ということもありましたが、その子が輪の中にいると他の女の子たちがみんな仲良く遊んでいる様子が印象的でした。クラスの女の子同士がグループを作って、友達の取り合い、みたいなことをよくやっていたのですが、その子がいる時はみんなが一緒に遊んでいました。

その子のお母さんは、子どもが発達障害であることを隠そうとはせず、私や、他の親に自分からそのことを話していました。
「今は私がついていて、安心感が何よりも必要だと思うの。」
バリバリ働いていたそうですが、今は子どもと過ごす時間を増やすために仕事を減らしていました。

その子が自分の言いたいことをうまく言えないでいると、単語を一つ一つ、区切りながら、反復させ、文章で言えるように、いつも時間をかけて子どもの気持ちに付き合っていました。ある時は、私たち親子が先に帰ろうとしていた時、遊べないと癇癪を起こす前に、もう友達が帰ってしまうことを説明し、でも、泣かずにさよならできたら、次にいつ遊べるか、ということを丁寧に話しかけていました。友達が帰るだけでも、かなりの時間をかけて話しているのです。そしてよく手を握り、抱きしめていました。


ドリーの記憶障害もこの子の発達障害も、障害か、欠点か、それとも個性か、聞かれたら、これは個性だと答えたくなります。それが、この映画のメッセージだと思います。しかし、個性だと尊重してあげたくても、その親の立場だったら、その「個性」を子ども自身が前向きに実感できるように、どれだけ苦労をするのでしょう。映画の中だけでなく、実際にそのような努力を惜しまない親の姿を間近に見て、深い愛情に感動しました。


野口由美子

0 件のコメント:

コメントを投稿