2016年1月29日金曜日

音読の宿題はなぜ毎日出るのか、日本人とイギリス人の先生に聞いた国語力の伸ばし方

私の息子は小学校1年生。海外生活は3年目となり、平日はブリティッシュスクール、土曜日は日本語補習校、と2つの学校に通う生活を送っています。

多くの親が考えているように、私も子どもには、読み、書き、話すといった言語の運用能力や思考力を育んでほしいと思っています。どちらの学校もそういう能力(日本語と英語という言語の違いはありますが、ここで国語力と呼びたいと思います)を伸ばそうと熱心です。

どうやって国語力を伸ばすのか、子どもが2つの学校を体験する中で、1つ共通点を見つけました。どちらの学校も、毎日の音読、が宿題なのです。


それぞれの学校からリーディング・レコード、音読カードが渡されています。




音読は、国語力の基礎と考えているのでしょう。しかし音読のやり方は大きく違い、戸惑いました。

イギリス人教師が説く「本を読む楽しみを知る」ための音読

ブリティッシュスクールで私の息子は、個人のレベルに合わせた内容の本を毎週2冊、課題として持ち帰ります。物語もあればノンフィクションもあり、本人が興味のある本を選べます。イギリスの小学校ではそもそも教科書がないので、皆が同じ教科書を音読するのではありません。息子は、30から40ページくらい、字が大きい絵本のような体裁の本を与えられていますが、クラスメートでもレベルによっては80ページ以上の字が細かい児童向け文庫のような本を読んでいる子もいます。

レベルが上がってくると、音読よりも読書に近いスタイルになってきます。最初から最後まで音読するのを大人が聞くのではなく、一人で本を読むのが中心です。いずれにしても本をただ読むのではなく、内容について思ったことや関連する話を家で話し合うことがよいとされています。目指しているのは、いろいろな本を読んで想像したり知識を吸収したり、読書自体を楽しめるようになることです。先生には、
「音読の宿題は楽しくなくてはなりません。」
と言われました。

なるほど、音読は本を開く楽しみを学ぶものなのです。

日本語の音読って何だろう?

改めて、私は日本語の国語の音読が不思議に思えてきました。子どもが日本語補習校で宿題として持って帰って来る音読カードは、今習っている教科書の単元を毎日読んで、「こえの大きさ」「はやさとくぎり」「きもちをこめましたか」といったポイントについて、大人が評価し、コメントをするというものです。

国語の宿題では、音読カードの他に読書カードもあって、音読は音読、読書は読書、別々です。ブリティッシュスクールでの英語教育と違って、国語の教科書を毎日読むことと読書は別のことと考えられているように感じます。

音読は日本語の音や表現を口から身に付けるために必要、と説明する先生もいました。それだけでなく、脳に良い刺激を与えることや、感受性が高まるといった別の効果も指摘されていると聞きました。

 日本人教師の意外な答え

「国語の教科書を毎日音読する目的って何なのでしょうか」
いろいろな説明も腑に落ちなかった私は、日本の小学校の先生に聞いてみました。

「学習指導要領を読んで私なりに解釈した個人的な意見でしかありません。他の先生は違う意見を持っていると思ってください」
と前置きした上で、先生は教えてくれました。
「自分の意見を口頭で表現できるようになるための、手法を習得することだと思いますね。」

全く予想しなかった先生の回答でした。私は驚きましたが、先生の説明は続きます。

「自分の意見を口頭で表現することが苦手な子どもが多いので、自分の意見を考えることと発言することを別のものとして分けて学ぶやり方になったように思うのです。音読の「声は大きく、はっきりと」のように手法化して、発言するための土台を身に付けることが狙いだと考えて指導しています。」

国語力を伸ばすために、「発言する」ことを大切にしたいという先生の意図は意外なものでしたが、納得できる気がしました。日本語の場合は、漢字の学習に多くの時間が費やされることもあり、知識を吸収することに比重が置かれていると思います。そのようなインプット中心の学習とバランスを取って、音読を発言、アウトプットする訓練という位置づけをしたのだと思います。

先生おすすめの音読スタイル

日本語の音読、英語の音読、どちらも音読ですが、目指しているところが全く違いました。そこで、我が家ではこの目的に従って、国語と英語で音読のやり方を変えることにしました。

日本語の音読は、発表会のようです。教科書を持って姿勢は正しく、発表をしているように音読します。確かに、音読カードでよい評価を取ろうとすると、自然とそういうスタイルになります。

英語の音読はもっとリラックスしています。学校では、ベッドタイム前の10分を使うことが勧められています。我が家の場合、眠る前は子どもが好きな本を読んであげる時間になっているので、子どもとソファに座ってのんびりできる時間に宿題の本を開きます。

英語の本を読もうと本人の意欲がある時は、最初から最後まで音読することもありますし、そうでない時は挿絵を見て、これは何をしているところか、次は何が起きるだろう、など会話をして終わりです。無理強いして本が嫌いになったら意味がないということで、先生のアドバイスに従いました。

私が接した先生の指導が学校教育の標準ではないのかもしれませんが、日本とイギリスの教育の違いについて考えさせられました。音読一つとってもそのやり方はだいぶ違いましたが、国語力の基礎として、音読の大切さがよくわかりました。


野口由美子

2016年1月21日木曜日

子どもへの「正しい」接し方も、いい子になる「魔法」の言葉もいらない

東京の住宅街、どこにでもあるような小さな公園に子どもと毎日のように遊びに行っていた頃のことです。幼い子どもの世話に追われる生活を送っている親にとって、公園は数少ない外出先、外で気分転換ができるちょっと特別な場所だと思います。でも、正直なところ、ちょっと公園は苦手だなぁ、と思っていました。

「ほら、そんなところに上ったら危ないでしょ。降りてきて」
「じゅんばんばん、でしょ。ここでお友達が終わるのを待っていなさい」
「貸ーしーて、って言うんでしょ」
「いいよ、って言ってあげなさい」


公園で友達と仲良く遊ぶルール、どう伝えたらいい?


順番を守る、おもちゃの貸し借りができるということは子ども同士が仲良く遊ぶために守らなくてはならないルールだと私もわかっていますが、熱心に子どもに付き添って、「正しい」公園での遊び方を教え込む大人に違和感がありました。

公園ってもっとみんなが自由に遊べる所であればいいのに、と内心思っていた私は、ルールをきちんと教えていない親、しつけを怠っている親、と思われていたかもしれません。ではどうふるまうのがいいのかしら、私はよくわからなくなりました。

海外の公園で見つけたヒント


そんな私がイギリスに引っ越して来たばかりの時、そしてオランダへの引っ越し後も、まだ学校が始まらない娘の遊び場を探し、公園に通う生活が戻ってきました。行く公園はどこも初めての場所、再公園デビューという気分です。海外とはいえ、近所の人たちが集まる昼間の小さな公園は、1, 2歳の小さい子たちがのんびり遊んでいます。でも、違うところがありました。

小さい子どもが高い所に上ろうとしたら、落ちても大丈夫なように親は後ろについていますが、上ってはダメと言っている様子はありません。順番を守れない子や他の子のおもちゃを使っている子がいたら、親が他の遊具で遊ぶように誘っているようです。親が子どもを呼び止める場面はありますが、特に咎めたり、ルールを教えようと一生懸命でもないようです。

ただ、自分の子が他の子に迷惑をかけてしまったら、親はその子に「ごめんなさいね」、その親に対しては「あなたの子はいい子ね、ありがとう」など、声を掛けます。教育熱心な母親やしつけに厳しい父親、もしくは周囲の人に無神経な親、どれでもありません。親がもっと楽な気持ちで子どもを見守っているように見えます。私はこういうやり方があるのかと初めて気づかされました。

子育てに正解はない、頭ではわかっているつもりでしたが


もちろん、どこの公園でも、遊具や自分のおもちゃを子どもが「シェア」することは大切、と考えられているのは明らかで、誰もそういうルールを軽視しているわけではありません。でもそれは、親が説いて教えるものではなく、公園で他の子と接する体験を通じて本人が学ぶものと考えられているのです。

自分一人っきりで自分のおもちゃだけを使うより、他の子と一緒に使ったり、他の子のおもちゃも使ったりできる方が楽しい、遊具は順番に使った方が自分も遊べていい。子供自身が遊びの中でそういうことに気づき、行動できるようになるのを、親は待っているのだそうです。

子どもへどのように声をかけるべきとか、親のどういう行動が間違っているとか、そういう育児書の中にあるような正解を求めて、それまで私も気にし過ぎていました。私が公園で出会ったのは、子どもが答えを見つける子育て、です。


野口由美子

2016年1月14日木曜日

2016年の春は特別な春にしよう。想いを寄せる人がいると日本の子どもへ、エールを

年が明け、春になると新年度がやってきます。子どもの卒業や入学という大きな節目は親にとっても大切なものです。

私の息子はちょうど昨年が小学校入学の年でした。海外在住の今、日本の小学校には行っていませんが、土曜日に通う日本語補習校1年生となったので、日本の小学校のような入学式を経験することができました。体の割に少し大きいランドセルを背負って他のクラスメートの後に並んで教室に入っていく姿を見て、自分の子が1年生なんて信じられないような、でもやっぱり大きくなったものだ、とうれしい気持ちになりました。

小学校入学、ランドセルの値段が高い、でもお祝いだから 

入学の準備をしていて実感したのですが、昔に比べ、ランドセルは高級になりました。3, 4万円くらいが中心価格帯、5万円台くらいが売れ筋という印象です。6年間長く使うものだから、高品質で子どもが気に入る物を求めたいという親心もありますし、小学校入学のお祝いという気持ちも込められて、価格は高くなっていっているように思います。

ランドセル格差、という言葉も聞きました。10万円以上するようなランドセルも完売するそうで、高価なランドセルを買ってもらえる子と買ってもらえない子という子ども間の経済格差が広がっているそうです。 

生活に困窮しランドセルどころではない家庭も多い、そんな話は聞くけれど

日本の子どもの貧困問題、最近ニュースで目にすることが多いと感じられている方が多いと思います。それもそのはずで、日本では長い間、政府が貧困について調査していませんでしたが、2009年以降になってようやく、日本の子どもの貧困率が公表され、2012年の調査では6人に1人の子どもが貧困家庭(注)で生活していることが分かりました。このような話はテレビなどで報じられるようになり、すでにご存じの方は多いでしょう。

収入がこれだけ少ない家庭では、ランドセルも含めて、子どもの入学で学用品などを揃えることが大変であろうことは容易に想像がつきます。

放置される貧困家庭の子ども 

「親が離婚して、ひとり親世帯で貧困というのは親の責任。離婚したのは親の勝手で、生活が苦しくなるのはわかっていたはずだし、離婚しなくてはならないような相手と結婚したのが悪い」
「母親が努力して立派に子どもを育て上げている母子家庭もある。貧困なのは親の努力が足りないのでは」
「学校もまともに行かないで、若くして子どもを産んでしまったような親が貧困になっているのだろう」

貧困家庭は親の「自己責任」という意見。私の周りでも多かったことに驚きました。確かにそのような貧困家庭もあるでしょう。子どもは家庭で育てられているのだから、親自身や家庭の問題を無視できません。でも、親が悪いからという理由で、子どもたちを放っておける社会もまた無責任です。

10万円のランドセルを買ってもらえる家の子と1か月の収入が10万円の家の子。個人の力ではどうにもならない問題だから、国が対応すべき問題だからと、見ないふりをするのももう限界だと思います。国よりも早く、今私たちが、できることがあるはずです。

子どもの新生活を応援する新しい試み 

子どもの貧困対策センター「あすのば」では、新生活をスタートさせる貧困家庭の子どもたちのために新しい試みに取り組んでいます。入学・新生活応援給付金「ここにいるよ。」プロジェクトというものです。

このプロジェクトでは、生活困窮世帯の子どもに
新年度小学校入学 3万円
新年度中学校入学 3万円
今年度中学校卒業 4万円
今年度高校卒業  5万円
を各学年40人、合計160人に給付します。このプロジェクトが素晴らしいのは、お金を渡して終わりではなく、給付対象者の子どもたちとキャンプなどの活動を通じ、子ども同士の連帯を深め、さらにアウトリーチを行うことで貧困対策のモデル事業として成果を上げることを目標としています。あげられるお金も対象となる子どもの人数も限られたものですが、より抜本的な大きな対策へつなげることができます。

今年17日現在の協力者は2,100人以上に上っています。募金額は197万円、目標金額600万円に到達するには、まだまだ多くの方の協力が必要です。今年度中に支給することが重要ですので、時間はあまり残されていません。

2016年春は、私たちが子どもみんなにエールを送る春です。

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子どもの貧困対策センター あすのば Facebookページは、こちら
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(注)OECDの算出方法による相対的貧困率を参照しています。当可処分所得の中央値の半分未満の所得の人口が全人口に占める比率です。2012年のデータでは中央値が1人当たり122万円。2人家族の場合、171万円、4人家族の場合は所得244万円未満が貧困ラインとなります。


野口由美子


2016年1月7日木曜日

日本ってこんな所だったんだ。3年ぶりに驚いたこと

明けましておめでとうございます。昨年から始めたこのブログも、私にとっては新しいチャレンジで試行錯誤と言いながらも自分の思うままに綴っていますが、いろいろな方に見ていただけるようになりました。今年はさらに充実させていきたいと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。

年末年始は3年ぶりに日本に一時帰国していました。久しぶりの日本、日本の親類、友人に会い、おいしい日本食を堪能し、買い物もたくさんして、家族で楽しんできました。

子どもたちも、大好きな日本、を再認識したようです。


東京が怖い

私たちは実家のある東京に滞在しました。私は育ってきた所に滞在していたのでさぞ懐かしいだろうと思われるかもしれませんが、帰国前は
「アムステルダム辺りのこんなのどかな生活に慣れてしまって東京みたいな大都会に行くのはちょっと怖い気がする」
なんて情けないことを言っていました。

「東京、とってもいい所じゃないか!確かに人は多いけれど大丈夫じゃない?行く度に楽しくて新しい驚きがあるよ。」
頻繁に日本に出張しているスイスの方に言われました。

「日本ってすべてがきちんと整備されていて組織的に機能している素晴らしい国だと思うわ。住みやすい所でしょ?」
友人のインドの方に言われました。

帰ってみたら、(当然ですが)東京は怖い所ではありませんでした。


電車に乗って眠れることに驚く

怖いどころかむしろ安全なことに改めて驚きました。多くの都市はスリなどの犯罪が多く、いつもお金をどうやって持ち歩くか工夫して、標的にならないように注意していなくてはなりません。ミラノの地下鉄に子どもと乗った時は緊張しましたし、周りの様子をいつも見ていました。東京では電車の中で眠っている人もいます。日本も犯罪率が上がっているといいますが、こんなに安全に過ごせることは素晴らしいと思いました。

コンビニがずっとやっていることに驚く

もう一つ、驚いたのはコンビニエンスストアに代表されるような、便利なサービス。24時間年中無休で開いていて、生活必需品の大半は買うことができます。お弁当や簡単な食事もコンビニに行けばいつでも手に入れることができます。24時間営業のお店が徒歩圏内にいくつもあって、お弁当や冷蔵品のような適時補充が必要な商品が品切れにならずに店頭に並んでいる、というのは私のヨーロッパの生活では考えられないことです。最近は日曜午後に営業するスーパーマーケットが増えてきて助かっているというレベルなのですから。

かつてはすべて当たり前と思っていましたが、離れてみると、安全で便利な生活ができる日本はすごいな、と思いました。そんなの当然、なんて思わず、どんなに恵まれた環境か、日本の良さって何なのか、再認識しました。

他にもいろいろなことを発見しました。その話はまた別の機会に。


野口由美子