2017年9月19日火曜日

「養護施設出身だからって、言わせたくない。」その若者の夢とは?

子どもの貧困対策センター公益財団法人「あすのば」で活動する石川昴さん(20)は、父親の暴力が原因で児童養護施設に2歳から入所、両親の離婚、父親の虐待を経験してきました。そのような境遇でも、スポーツの才能を生かし、東京都の育成選手に選ばれオリンピックを目指すだけでなく、奨学金を受けて大学進学も果たしました。しかし、大学進学後、石川さんはいくつもの挫折を経験して、一度は「どん底に落とされた」と言います。

     ◇

「自分は、スポーツも勉強もできるんで。自分が成功してやろうって思ってましたね。」


−−石川さんは養護施設にいて、恵まれた環境とはいえなかったかもしれないと思うのですが、スポーツや勉強はどのようにやってきたのですか。

自分は何でもできちゃうんですよね。スポーツは得意だったので、中学生の時に東京都のジュニアアスリート育成事業の選手に選ばれて、そこでカヌーと出会い、オリンピックを目指して練習に取り組みました。でも、高2の時、精神的に不安定になって、自分でもどうしてだかわからないのですが、突然辞めてしまいました。

それからずっと悶々とした日々を過ごしていましたが、ちょうどソチオリンピックのスキーハーフパイプをテレビで観て、「自分もこれやってみたい」って強く思ったんです。テレビで観た日本代表選手に直接連絡して、コーチになってもらってスキーを始めました。本気で自分はスキーでオリンピックに行くんだって思って、やっていましたね。

周りからは、「勉強できるんだから、大学行けば?」と勧められていたのですが、オリンピックが第一の夢だったので、もともと大学は行く気がありませんでした。

でも、高校で中国語の授業があって、中国語に興味が出てきたんです。中国語を勉強できる大学を知って、そこで、スキーの練習と両立もできるって話を聞いたので、それなら自分に向いているかな、と。奨学金とかで、お金の問題も何とかなったので、進学したのです。養護施設出身でも、自分はスポーツも勉強もできるんで。自分が成功してやろうって思ってましたね。

−−どうして大学を辞めてしまったのですか。

大学行ってみたら、周りの人間は、遊んでいるか、休みたいって愚痴言っているか。せっかく大学っていい所のはずなのに、行く意味とか、ありがたみとか、そういうことを感じられなかったんです。人生無駄にしてんな。学歴だけじゃん、みたいな。自分にはスキーがあったし、学歴はいらないんで、1ヶ月で辞めました。

−−その後スキーは?

フリーターをしながらオリンピックを目指せばいいって思っていました。でも、スキーって危険なスポーツなんですよ。大きな怪我も多いし、後遺症が残ったり、障害者になってしまうことだってある。そういう危険を親が了承しないとスキーを教え続けることができないって、コーチに言われたんです。自分の両親は健在だけれど、父親に親権があります。

結局父親から承諾をもらうことはできなかった。そこで諦めるしかなかったんです。

「今まで自分に関わった人を裏切ってしまった。それでも、周りの人たちは自分を受け入れてくれた。」


−−大学を辞めてスキーも諦めてからは、何をしていましたか。

父親に90万円貸していたのが、返してもらえなかったっていうのもあったりで、鬱みたいな状態でした。グレて、良くないこともしました。自殺未遂もしました。最後には全て奪われて、どん底に落ちました。

今まで自分と関わってきた人を裏切ったことになって、社会からも隔離されて。思い出したくないことだけれど、その時自分に向き合い、過去を振り返る時間があったからこそ、今の自分がいると思います。

そこまで落ちたのに、ほとんどの人が自分を受け入れてくれた。だから自分も今まで支えてくれた人たちに恩返しするためにも、目の前のことを全力で取り組んでいこうと思いました。

「正直俺にも居場所ってあるんだなって。」


−−それから、貧困支援など、いろいろな活動に参加するようになったのですね。あすのばの活動に参加するきっかけは何ですか。

あすのばは、養護施設出身者の仲間に誘われて、大学生世代のミーティングに参加したのが最初です。大学辞めるくらい大学生嫌いだったし、NPOとかの支援団体も嫌いだったんですけど。

−−それなのにどうして、あすのばの活動に参加しようと思ったのですか。

そこにいた学生ってみんな不器用なんですが、それでも何かを残そうと必死なんですよ。自分も苦労を知っているから、共感できて、いいなと思いました。

支援団体も、当時自分があまり知らなかったということもあるけれど、「貧困ビジネス」と言われるような、本当に支援を必要としている人のことを考えてんのかっていう団体も中にはあって、疑問だったんです。

あすのばは、「(支援を必要する人がいなくなって)あすのばを解散するのがゴール」って言うんですよ。後になって、きちんと支援に取り組んでいる団体をたくさん知ったんですが、あすのばの、その考え方はとても気に入ったんです。

東京都内であすのばの募金活動を行う石川さん(右から2人目)たち


−−貧困家庭の子どもたちが参加する「あすのば合宿ミーティング2017*注)」で、石川さんは奮闘してがんばっていたと聞きました。印象に残った出来事は何ですか。

今年の夏の合宿ミーティングでは、総合司会と班のファシリテーターとして、運営の立場で参加しました。

合宿のキャンプファイヤーで、一緒に語り合った班のみんなの顔を見たら、安心して俺が泣いちゃったんですよ。班のみんなも泣いてくれてうれしくって。正直俺にも居場所あるんだなって。合宿の仲間はもうみんな家族なんですよ。

キャンプファイヤーにて 1


合宿の最後、司会から一言、があって俺が話さなくてはならなかったんですけど、笑顔のみんながこれまで苦労してきた姿とか苦しんでいた姿とかいろいろ考えたら、喋る前に涙が出ちゃったんです。こんなに泣いたのは久しぶりで。みんなから「司会お疲れ様」とか「昴が司会じゃなかったらつまんなかった」なんて後からラインとかでまた泣かせてくれて。

合宿の司会を務める石川さん

俺にも感謝してくれる人がこんなにもいるんだって気づきました。

「誰かとつながっていると、立ち直れる」


−−合宿の意義は何だと思いますか。

合宿ミーティングは、集まった子達でカレー作ったりスポーツしたり、語り合ったり、非日常の場ですが、そこで第2の居場所というか第2の家族みたいなものを見つけることができるんです。それは根っこからのサポートだと思います。

合宿での石川さん(左上)と班のメンバー


あすのばでは給付金事業もやっているけれど、お金を渡すのは応急処置であって、精神的サポートこそが本当に根本からの支援になるのです。

確かに合宿で出会った子同士は、普段近くにいるわけではないです。日常生活は何も変わらないかもしれません。でも、自分のことを吐き出せたり、無条件に頼れたりできる人がいるって重要なことです。誰かと自分がつながっているだけで立ち直れるんですよね。

友達だと、こんなこと言ったら恥ずかしいとか、こんなに頼ったら悪いと遠慮とかしてしまうけれど、家族は、いざっていうときこそ頼れるものだと思います。友達ではなくて家族。自分には家族がいないようなものだったので、助けてとか、苦しいとか、言えなかったし、自分のことを吐き出したこともなかったです。でもだからこそ、辛いことがわかるし、俺も無条件に頼れる家族のような存在になりたいって思うんです。

キャンプファイヤーにて 2


「助けるならとことん、苦しんでいる人をサポートしたい。」


−−石川さんは自ら率先して行動するタイプですよね。これからの夢は何ですか。

いろんな人に会って、いろんなことを経験したい。楽しさ、やりがいで仕事を選びたいって考えるようになりました。

お金とか名声とか全然欲しいと思わない。就職する気もないんです。起業したい。

今はバイトをしながら、シェアハウスを運営しています。もともとは知り合いの子で困っている子たちを何とかしたいと思って、自分が家を借りて面倒をみるようになったのがきっかけです。今知り合いの子が巣立っていったので、入居者を公募して継続しています。

自分一人で歩けなかったら意味がない。助けるならとことんサポートしたいと思っています。家事の仕方やお金の管理、人生設計も相談に乗るし。施設出身者とか困っている人たちのサポートをもっとやっていきたい。

みんなどこかにスイッチがあって、スイッチが入ればできるはずなんです。社会の中で、そのスイッチが入るチャンスを潰したり、なかなかスイッチが入らない人を切り捨てたりしてはダメだと思う。世の中、見て見ぬ振りをする人が多いように感じます。周りに関心を持つことが大切で、関心の輪が広がることが、社会を社会全体で支えることにつながると思っています。

     ◇

*注 あすのば合宿ミーティングは、ひとり親家庭や児童養護施設などで育った経験のある、または学習支援や子ども食堂など子どもに寄り添う活動経験のある高校生・大学生世代が集まり、学生らが中心となって試行錯誤しぶつかり合いながら作り上げられています。あすのばの中核事業のひとつとして、毎年開催され、2017年は816日から19日に国立赤城青少年交流の家(群馬県)にて、総勢100名が参加し3泊4日の時間を共に過ごしました。

(写真出典: あすのばFacebookページ



聞き手・野口由美子

2017年9月14日木曜日

初代 iPhone から10年、9歳の息子とスティーブ・ジョブズ氏のプレゼンを観てみた


新しくiPhoneXが発表されたそうで、新製品のニュースが好きな夫(私は全く無頓着なのですが)は、早速アップルイベントを観ていました。

電子機器に疎い私を含め、多くの人が持ち歩き、毎日使っているスマートフォンが今の形になったのは、10年前に発表された初代iPhoneだと思うと、私でも感慨深く思えてきます。

そんな私のような古い人間と、物心ついた時からスマートフォンやタブレットが身近にある子どもたち。10年という時間のギャップがどのように感じられるのか。興味本位で、10年前のスティーブ・ジョブズ氏が初代iPhoneを紹介したプレゼンテーションを子どもと一緒に観てみました。






親のノスタルジーと子どもの不思議顔


9歳の息子にとっては、当たり前のスマートフォンに観衆がいちいち

「おおー!」

と歓声を上げたり、拍手が起きたりするのが不思議なようで、「???」という顔で観ていました。タップやスワイプ、ピンチといった、今では小さな子どもでもやる操作が紹介されて、客席から大歓声が上がった時に

「なんで皆こんなにうれしいの?」

とあまりにも不思議だったのか、質問されました。

「今では当たり前に皆やるけれど、それまでは電話にはボタンが付いていて、こんなやり方はこの時が初めてだったんだよ。」

昭和生まれの私が、テレビを初めて見る人々の様子を白黒のニュース映像で見て
「昔はテレビも珍しかったんだなあ。」
なんて思うようなものでしょうね。

「驚異のプレゼン」子どもはどう観た


ノスタルジックな感傷とは別に、意外なことに気づきました。息子がスティーブ・ジョブズ氏の話を真剣に聞き、彼のユーモアに笑い、プレゼンテーションに見入っていたのです(その後、最近のアップルイベントでの他のプレゼンターも観たのですが、何言っているかよくわからない、と息子に言われました)。

確かに「驚異のプレゼン」と言われるだけあって、人を引き込む話術、メッセージを伝える手法は洗練されているのだろうと思います。でもそのような技術以上に、彼のプレゼンでの話し方は、子どもにもわかりやすい、というのが驚きでした。

題材がスマートフォン、という今の子どもにとってわかりやすいものであったからかもしれません。でも、世界に向けて自社製品を発表する企業の経営者が、子どもにもわかるように話している、ということはすごいことのように思えてきました。

仕事の場など、大人同士の世界では、簡単なことは省略したいし、高度で難しい方がありがたがられると思いがちでしたが、子どもと向き合っているときと同じくらいの気持ちで、わかりやすい、ということ大切にすべきなのでは、と反省しました。

やっぱり子どもたちには気付かされることが多いです。


野口由美子



2017年9月8日金曜日

小学生に宿題は必要なし、実はそれがスタンダード?

小学校の宿題。国語や算数のドリルや音読、毎日出るのが当たり前。小学生になったら少しずつ家で勉強する習慣をつけるもの。学校で習ったことがちゃんと身につきますように。

私自身は宿題ってそんなもの、と思っていましたが、実はこの考え方は、日本の外に出てみるとそれほど「当たり前」ではないのかも、と考えさせられることがありました。

宿題が足りないと言う親と、宿題はいらないと言う親


9月に新年度が始まり、学校では親向けのカリキュラム説明会があります。宿題についての説明もあり、子どもの通う学校(イギリスが国で定めるカリキュラムに準拠)では、
  • 1年生は音読の宿題のみ
  • 2年生は音読に加えて、週に1度、プリント1枚程度、もしくはインターネットの学習サイトの課題を提出
  • 3年生からは、分量が徐々に増加、さらに毎週6から8単語程度のスペリング暗記が追加
 というような内容で、ちょっと少ないような、でもこんなものか、と私はあまり深く考えていませんでした。しかし、たまたまこの話が子どもの友達の親同士で話題になったことがあり、意外と多くの親が宿題を気にしていることを知りました。

「宿題の量が少ないと思わない? 宿題は毎日あったほうがいいと思うのだけれど。」

「宿題は効果があまりないって言われているわよ。宿題は基本的に必要ないと思うけれど、子どものレベルに合わせた復習を家で少しできたらいいかしら。」

「小学校の勉強は学校で完結すればいいと思う。放課後は、芸術とかスポーツとか、学校の勉強とは違うことをした方がいいと思う。」

人によって全く意見が違うのが驚きでした。話をよく聞いてみると、親自身のバックグラウンドによって意見の違いがあるようです。オランダの学校は宿題を出さないのが主流のようで(オランダは教育スタイルが多様なので一概にはいえないかもしれません)、オランダ人は、宿題は効果なし、とはっきり言っていました。フランスの学校は宿題が毎日出される場合が多いようで、その場にいたフランス人は、宿題は当然やるべき、と思っているようでした。中国人の親は日本人と似たような感覚を持っているような印象で、宿題をもっと出してほしい、と言っていました。

どちらがいいか決着はつきませんが、イギリスでも昔より小学校の宿題を減らす傾向があるようですし、オランダでは、宿題はナンセンス、という雰囲気さえ感じます。

大量の宿題、どうする?


宿題反対派の意見は、私にとって新鮮で説得力がありましたが、我が家の状況は全く違っています。我が家の場合、平日校の宿題だけでなく、日本の学校の勉強にもついていこうと、毎週補習校から、新出漢字の練習、国語のワークブック、算数のドリル、プリント、とかなりの量の宿題が出ています(海外の学校ではなく、日本の小学校と比べれば平均的な量かもしれませんね)

もう少し考えてみたくて、あえて宿題反対派であろうオランダの元小学校の先生に宿題の話をしてみました。

「昔、自分が担任のクラスに中国から来た子がいたのだけれど、すごく問題児だった。母親と面談して話を聞いてみると、土曜に中国語の勉強をするために学校に通わせていて、放課後も家でかなり勉強しているということで、私はその母親に言ったの。子どもの負担が大き過ぎるから考え直した方がいい、と。母親もよく理解したようで、土曜の学校は辞めて、そうしたら学校での問題行動もなくなった、ということがあったわね。」

その方は、私が子どもに家で勉強させ過ぎ、ということを言いたくて、そんなエピソードを話してくれたのかもしれません。でも、その話だけで終わらず、こんなアドバイスもくれました。

「子どもにも休むことは必要。学校から帰ったらまずは1時間くらいリラックスして休んでから宿題をやる、とか、どうやって宿題をやるか気をつけた方がいいのではないかしら。」

それからは、宿題をどうやってやるか、ということを子どもと一緒に模索し始めました。家に帰ったらまず宿題、を習慣づけようと私は思っていましたが、それは最初に取り下げました。朝に勉強するのも合わないようで、諦めました。

子ども自身がやるしかない、だから


宿題ができないなら補習校は辞める(補習校の方針が厳しく、宿題も含めて成績が一定以上でないと留年、退学になるのです)、ということだけ子どもに宣告して、あとは本人の考えを尊重しました。私は、

「早く宿題終わらせなさい。」

と言いたくなるのをぐっとこらえ、
子どもからサポートしてほしいと言われれば、

「それくらい自分でやって。」

と言いたくなるのを我慢し、とことん付き合うことにしました。

子ども自身、いろいろやってみると思うところがあるようで、たとえば、宿題をずっと溜め込んでしまい、提出前日に大変な思いをしたことがありました。

「直前に慌ててやるのは嫌だ。」

と本人は強く思ったようで、実行可能で余裕を持った計画を立てるにはどうしたらいいか、私にアドバイスを求めるようになりました。

結局、週末に1週間分の宿題の計画を私と一緒に決めて、宿題をやる日はテレビを観るなど家でやりたいことをした後、夕食までに終わらせる、ということでうまくいくようになってきました。

宿題自体がいいか悪いか、決定的な結論はまだ出ていないようですし、質や量が大切、というもっともな説もあるようです。でも、親は宿題を決めることができません。それなら、どうやって宿題と向き合うか、ということを家庭でのテーマにするのもいいかも、と思うようになりました。

宿題をすぐ終わらせる子もいるし、直前にならないとやる気が出ない子もいると思います。一度にたくさんできる子もいれば、少しずつしかできない子もいます。結局やらない子もいるかもしれません。自分自身はどうだったかな、なんて自分の子ども時代を思い出したり、締め切りに追われる今の自分と重ね合わせたり、親がいろいろ思うところもありますね。


野口由美子