2017年6月29日木曜日

子どものおねしょ、簡単には治らないけれど

近所のスーパーで買い物をしていた時、たまたま赤ちゃんのオムツ売り場の前を通りかかりました。その棚の端っこに、赤ちゃんではなく、ティーンエイジくらいの男の子が眠っている写真がついたパッケージにたまたま目が留まりました。その横には同じくらいの年代の女の子が写った写真のパッケージもあります。

パジャマパンツ 8歳から15歳用

その商品は、おねしょ対策の夜用パンツでした。おねしょって大きくなっても結構する子はいるんだな、と改めて気づかされました。

おねしょはあまり触れる機会がない話題だと思います。子ども自身が大きくなってくると、本人が気にするだろうから、おねしょのことを本人に向かっても言わなくなるだろうし、家の外では、秘密厳守、になっていることが多いのではないかと思います。

でも、外泊となると、秘密を守ることは難しいもの。どうするか。

我が家であった、おねしょをめぐる出来事を記事に書かせていただきました。ご覧いただけるとうれしいです。

ママのための子育て情報WEBマガジン「ママスタセレクト」
おねしょが心配な子が我が家にお泊まり。その子がとった行動は?

おねしょが心配だったその女の子は、まだ6歳、幼い部分もありますが、もう6歳、彼女なりにプライドもあります。その子のとった行動は、私には意外なもので驚きましたが、その子の母親の采配があっての行動だとわかり納得できました。

おねしょは、その子にとって、どう考えても良くないことで、できるだけ触れないであげるのが一番と私は思っていましたが、避けられないならいっそのこと、とプラス思考に持っていったそのお母さんの力量に、頭が下がる思いです。


野口由美子

2017年6月22日木曜日

子ども同士のトラブル、親にできることは

笑う門には福来る、と思い、実践を心がけている私ですが、内心困った、と思っていることがありました。


娘が他の子とトラブル?


娘が、スイミングレッスンに行く度に

「いじめられるから、行きたくない。」

と泣くようになったのです。すでに3週連続。スイミングレッスン中、親は2階の観覧席から様子を見ています。プールがいくつもある広い場所なので、観覧席からすべてを見えず、私は今までその現場を見たことがありません。

どの程度なのだろう。

本人の話では、同じグループの男の子が、娘の水着を引っ張ったり、からかって笑ったりしているそうです。いじめ、と言うほど深刻なものではないかもしれないけれど、本人がそう言っている以上、どうにかしなくては。かなり困りました。


むやみに親が介入したくないけど


「どうしたらいいと思う?」

娘がどうしたら安心できるのか知りたくて、本人と話してみることにしました。私は、子ども同士で解決できるんじゃない?という姿勢でいることにしました。

「いつも先生のそばにいるようにしたら、その子もやらないんじゃない?」

「何か嫌なことをされたら、「やめて」って大きな声で言ってみたら。」

「水着を引っ張るなら、もっと引っ張らせてあげれば。嫌がると、その子も面白がって余計にやるんじゃないかな。」

「そんなのできない。泣いちゃう。」

娘の目からまた涙が出てきました。私自身も子ども時代は人並み(?)にいじめられた経験があるので、娘の気持ちもわかります。私は避けたかったのですが、親が行動を起こすしかないかも、と感じつつ、もっと話してみることにしました。

「じゃあ、ママが先生に相談するのは?」

レッスンでは、子どもたちが足のつかない深いプールで泳ぐことも多く、先生は泳いでいる子を見ているだけで手一杯に見えます。たぶん先生は、娘がいじめられている現場を見ていないだろうと思ました。

娘も乗り気ではありませんでした。その子に直接私から話すというのも、できません。私があまりオランダ語を話せないので、その子と会話できないのです。(大人同士のコミュニケーションは、オランダ語ができなくても不自由ないので、オランダ語の勉強をさぼっていました。今更ながら後悔でした。)

「その子のお母さんかお父さんに、ママが言ってあげようか。」

「ママ、お話して!」

言ってみたものの、親同士でうまく話ができそうな気がしません。相手だって困惑するだろうし、双方が自分の子どもを守ろうとして、話がこじれる可能性も高いです。私が一番やりたくないことでした。でも、どこにいても「ママはいつも味方」であり続けたかったので、仕方ない、か。娘と一緒にレッスン前の更衣室を回り、その子と親を探しに行くことにしました。


とっさの思い付きで


「あの子!」

娘が指さしたのはトルコ系の元気そうな男の子。横に父親らしき人が電話で話し込んでいます。やっぱり、親同士でうまく話せそうな気はしません。電話中でよかった、と私は内心ほっとしました。

「あの子なのね。お父さんは電話しているから今は話せないね。」

娘にそう言った時、私はとっさの思い付きで、その子をものすごい形相でにらんでみました。

その子は、娘と一緒にいる私が母親であることに気づいた様子、私がなぜにらんでいるのか、わかったようでした。さっとシャワー室に逃げるように走っていきました。

「あの子なんで走って行ったか、わかる? ママがあの子をにらんだの。ママに怒られると思って逃げたんだよ。あの子はわかっているみたいだから、もう大丈夫。ママがずっと見張って、にらんでいるから、あの子はもう何もしないと思う。」

「本当?」

ちょうどスイミングレッスンが始まる時間になりました。


意外な結末でした


私は2階席から大声で娘の名前を呼んで手を振りました。あの子も気づいてこっちを不安そうに見ています。すかさず、にらみつける私。アジア人のおばさんが怒って何をしだすかわからないと思っているのでしょう、やはりその子は私のことが怖いようです。その子の父親は外で電話をしているようで、観覧席にはいませんでした。45分のレッスンが長く感じられました。

レッスンが終わり、娘が更衣室に戻ってきました。泣いていません。

「今日はどうだった? あの子何かした?」

「いじわるなかった! 「ハロー、○○(娘の名前)」って言ってただけ。」

私は驚いたのと同時に、気が抜けました。

「あの子、なんであなたの名前知ってると思う!? あなたはあの子の名前知らないでしょ。名前を覚えるのって簡単じゃないの。名前を覚えて呼んでくれるっていうのは、好きってこと。友達になりたいってことだよ!」

その子はいじめているのではなく、何かコミュニケーションのきっかけがほしかっただけだったようです。それなのに私ににらまれて、ちょっとかわいそうだったかも。

子ども自身で解決できない時は親が出るしかない、とか、言葉でのコミュニケーションが正確、とか、そんなことを考えていましたが、今回の経験は私の考えを少し変えました。翌週以降、その子と娘は楽しそうにレッスンをやっています。


野口由美子

2017年6月16日金曜日

家族がいない時間

今週、我が家はとても静かです。

息子が3泊4日のキャンプに行っています。バスでキャンプ場に行って、バンガローに泊まり、昼間はプールや遊園地、夜はディスコ、ボーリングと楽しそうです。年度最後の一番大きな学校行事なのですが、1年間勉強をがんばったご褒美、友達同士の親交を深める、というところが重要なようで、お勉強的要素がほとんどないところが潔い、くらいに感じます。日本の修学旅行とはちょっと雰囲気が違いますね。

キャンプ出発の朝、娘と私で見送り


子どもがいない間、親は

学校のウェブサイトにキャンプの写真が順次更新されます。私は、その中から自分の子どもが楽しそうに笑っているのを見つけては安心しています。

「娘が毎晩泣いているんじゃないか、なんて心配してる。自分と同じようにベッドで泣いてないかな、なんて」

冗談もキャンプの話。親同士でも、キャンプに行っている子どもの話題になります。子離れが難しいのは私だけでなく、どの親も思うことは同じみたいです。


いつもにぎやかな家は

我が家の2人の子どものうち、1人いないだけで、かかる労力が半分どころか、10%くらいにまで減ってしまったかのようで、すべてが静かにスムーズに進んでいきます。私は、手持無沙汰になるくらい、ヒマでした。

「学校に行く時間だよ。」
「うん。」

いつもは、朝からケンカで子どもの返事は聞こえてきませんが、娘がすぐにカバンを持って玄関に行きます。

「今日は学校どうだった?」
「楽しかった。」

いつもは、我先にときょうだい同時に話し始めて、何を言っているのかわからなくなりますが、娘と私だけの会話も静かです。

いつもだったら、道に落ちていた石でもケンカができるきょうだい、何でもケンカのきっかけになるし、たとえ何もなくても、兄の邪魔をして、かまってもらおうとする娘にとって、兄がいないのは、とてもさびしいようです。

毎日ケンカ、がなくなってみると

「あと何回寝たら帰ってくる?」
娘は私に何度も聞いてきます。
「早く帰ってきてほしいの?毎日ケンカばかりしているのに?」

ケンカは彼らなりの愛情表現なのですね。

そんなに大好きならもっと兄にやさしくしたらいいのに。でも、結局息子が帰ってきたら、いつも以上にもっとケンカをしそうな気もします。

そんな我が家の様子を友人に話していたら、こんなことを言われました。

「家族が1人いないだけで、家の様子が全く変わってしまうわよね。離れてみるとわかる。これもいい経験よね。」

離れてみてわかる、本当にその通りです。今日、息子が帰ってきて、夜には元の騒がしさに戻っているはずですが、同じ風景の中にも違いを感じるんだろうなと思います。


野口由美子

2017年6月9日金曜日

子どもの貧困対策法成立4周年のつどい開催「今もスタートラインに立てない子がいる」

2009年、子どもの貧困率が初めて日本で公表され、「子どもの貧困対策法をつくろう」と当事者の学生たちが声をあげました。子どもの貧困対策法が成立したのは、2013年6月19日。そして2年後2015年の同日、子どもの貧困対策センター「あすのば」が誕生しました。

2017年6月17日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)にて、法成立4周年・あすのば成立2周年のつどいが開催されます。つどいでは、法成立からの4年間を振り返り、これからの支援はどうあるべきか、考えます。

つどいの企画・運営は、あすのばサポーターである学生たちが主体となって活動しています。そのメンバーである木戸寛捺さん(20・早稲田大学3年生)に、イベント準備の合間を縫って今の思いを聞きました。

木戸寛捺さん(20)



共有されていない、なぜ「子どもの貧困」に取り組むのか


――法成立4周年・あすのば成立2周年のつどいを、どんなイベントにしたいと思っていますか。

今日本では、多くの人がニュースや新聞で「子どもの貧困」という言葉に触れているのではないでしょうか。私や他のメンバーは、子どもの貧困問題のために活動することを当然のことのように考えています。

でも、社会全体では、子どもの貧困に対する意見はさまざまです。そして、子どもの貧困問題は複雑です。貧困問題には、子どもの親だけでなく、いろいろな大人の貧困があり、その周りには様々な社会問題があります。いわゆる「子どもの貧困」で焦点が当たる相対的貧困世帯の子どもでなくても、困難を抱え、そこから抜け出せない子どももいます。

なぜ「子どもの貧困」について取り組むのか。

今回のつどいではこの問いに改めて向き合い、共有したいと考えています。


イベント準備を進める木戸さん


「いくらお金がかかるか」ということばかり考えていた受験生時代


――木戸さん自身はこれまで生活に困難を感じた経験はありますか。

私の父は、障害があり働くことができません。私は高校1年からあしなが育英会の奨学金を利用しています。物心がつく頃には父に障害があることも理解し、当たり前のことと受け入れていましたが、大きくなるにつれて、友達と家庭環境が違うのだな、と感じるようになりました。

大学受験の時、自分は違う、と強く思いました。とにかく、大学受験にはお金がかかるのです。何をするにしても、お金が一番かからない方法を考えなくてはなりませんでした。大学受験が私にとっては一番つらかったです。

――受験勉強はどうやって乗り切りましたか。

大学受験は教科書だけでは完結しません。参考書も必要でした。でも何冊も買うことはできません。できるだけ学校の資料室から借りたり、古いものを譲ってもらったりしながら、本当に必要な参考書だけを買いました。

塾はぜいたく、と思う人もいるかもしれません。でも、現実には学校の授業だけでは足りません。周りの友達で塾に全く行かずに受験勉強をこなした子はほとんどいませんでしたし、自分も塾に行きたいと思いました。いくらかかるのか、費用で決めるしかありません。大手の予備校よりもお金のかからない、地元の小さな塾に通いました。

入学試験の受験料も高く、何校も受験することはできません。志望校は本当に行きたい学校だけに絞りました。入学試験のために実家の山口から上京するには、夜行バスが一番安く、他の選択肢は選びようがありませんでした。試験の度に山口から夜行バスで東京の試験会場へ行きました。


一番大切なのは「人」、すべての人の可能性を広げるのが「教育」だと思う


――木戸さんは大変でも大学に行きたいという強い意志がありましたが、支援制度の多くはそういう強い意志があって努力する人が対象です。それについてはどう思いますか。

私は、必死に勉強するしかないと思ってがんばりました。私ががんばれたのは、母がずっと私を支えてくれたからです。私は恵まれていて、心の貧困でなかったのだと思います。母は「経済的に苦しいから無理」と決して私に言いませんでした。私の力を信じて、将来の可能性をたくさん広げてくれました。大学受験でお金がかかるたびに親に申し訳ないと思いましたが、母はいつも後押ししてくれました。

――自分は幸運だったと思いますか。

そうですね、自分を支えてくれる人がいたという意味で幸運だったと思っています。さまざまな状況の貧困がありますが、親が働きづめで子どもと過ごす時間も余裕もないという家庭もあります。家族や身近な人に支えてもらうことが難しい子は、希望や意欲を持つことが簡単にできるとは限らないのです。スタートラインにさえ立てていない状態だと思います。

がんばろうと努力する人だけを支援すればよい、と貧困にある人を選別するのは違うのではないかと思います。やる気を出して、努力することが難しい状況もあり、そのことだけを持って切り捨てることはできないと思います。子どもの貧困は、相対的貧困率といった数字で表われる経済的な貧困もありますが、そこには含まれない心の貧困もあります。もっと広い範囲で考える問題だと思います。

社会で一番大切なのは「人」であるはずです。すべての人の可能性を広げるのは教育だと思います。貧困であるために教育を受けられない、選択肢が狭まってしまう、そういうことがなくなってほしいという思いで私は活動しています。自分にできることがあまりにも少ないし、自分はまだ何も知らない、と自分の力不足を痛感することばかりですが、教育の可能性を信じて、これからも活動に関わっていきたいと思っています。

昨年開催の全国キャラバンにて(最前列左端が木戸さん)
出典: あすのばFacebookページ

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詳細は、あすのばウェブサイトをご覧ください。


聞き手・野口由美子

2017年6月1日木曜日

背が低い。子どもがコンプレックスを克服するまで

私の息子が、自分のコンプレックスとして気にしているかもしれない、と私が以前から思っていたことがあります。

息子の身長が同級生の子たちに比べて、頭ひとつ分低いこと。

オランダに住んでいる今では、私自身も含めて家族全員、周りの人たち(オランダの成人平均身長は女性170㎝以上、男性180㎝以上!)と比べて、だいぶ背が低く、私のような大人にとっては特に気になることではありませんが、子どもの世界ではそう簡単に割り切れないかもしれない、と少し気になっていました。


やっぱりコンプレックス?

学校では、日本の小学校のように背の順に整列することはありませんが、歌や劇の発表で壇上に並ぶとき、息子はいつも最前列の端の方にひっそり立っています。普段の学校生活でも、教室にある高い棚に置いてある物が自分だけ取ることができず、

「私がいつでも取ってあげるから、言ってね。」

クラスの女の子から親切な言葉をかけられても、あまり素直に喜べない様子でした。

「ティーンエイジくらいになると、もっと背が伸びて大きくなると思うよ。」

そんなことくらいしか私は言えませんでした。


「あなたの長所は何?」

ある日、学校で、自分の長所を書く、という宿題が出ました。何を書くのかな、息子が書いた内容を見ると、そこには、

「せがひくいこと」

と書いてありました。私は内心、かなり驚いてしまい、本人にどうしてそう思ったのか聞いてみました。

「だって、背が低いと、おにごっこでみんなに見つからないように隠れられるし、誰よりも早く逃げられるし。みんなぼくのこと捕まえられないんだよ。背が低いってラッキーだと思わない?」

私は身長が低いことがコンプレックスにならなければいいけれど、くらいに思っていましたが、息子はコンプレックスどころか、いつの間にか背が低いことを自分の長所として気に入っているようでした。

オランダに来てから、こんな言葉を聞きました。

「どんな短所にも長所はつきもの」

いい言葉ですね。自分の子どもには教えるまでもありませんでしたが、私自身は時々思い出して、息子に負けない前向き思考を努めています。


参考記事: 
ママのための子育て情報WEBマガジン ママスタセレクト
「なぜうちの子だけできないの!?」子どもの気になる短所に、目からウロコの一言
(私が書いたこの記事にもこの「名言」の紹介をしています。こちらもご覧いただけるとうれしいです。)


野口由美子