2017年11月8日水曜日

海外の小学校で見た、一筋縄ではいかない「新聞作り」

私の子どもたちが通うブリティッシュ・スクールでは、毎年オープン・ウィークという親が授業参観できる日があります。国語(英語)、算数や美術、音楽、ICT(コンピュータ)など数日間にわたっていくつかの授業が指定され、予約順に4名程度の大人が授業を見学します(各授業の定員は少ないのですが、保護者の数以上の予約枠が用意されます)。私が毎年楽しみにしている行事のひとつです。

「新聞を作ろう」という国語の授業


息子が4年生(当時8歳)の時、国語の授業に参加しました。その日の授業は、新聞作り。日本の小学校でも似たような授業があるのではないでしょうか。私は学校生活など身の回りで起きた出来事を記事に書くのかな、と思っていましたが、私の予想とは全く違う授業が始まりました。

先生がまず1枚のスライドを子どもたちに見せました。

ブーディカ、敗れる

とスライドには書かれていました。先生が最初に話し始めます。

「前の授業でブーディカについて勉強したこと覚えているかな。」

何人も子どもたちが手を挙げます。

私は、ブーディカなんて聞いたこともなかったので、何のことだかさっぱりわからず、授業の最初から面食らってしまいました。ちょうどこの時、子どもたちはローマ時代の勉強をしていて、ブーディカというのはローマ時代にイギリス一帯を治めていたケルト人の女王だそうです。夫であった国王の死後に領地をローマ軍に占領され、反乱を起こしたものの最終的にはローマに敗れました。イギリスではよく知られている人物のようです。

そのような歴史についてはすでに授業で勉強していたようで、子どもたちが次々とテンポよく指名され、発言していましました。

「今日は、ブーディカがローマに負けたことをみんなに新聞記事にして書いてもらうぞ。でもその前に、この質問に答えてほしい。ブーディカが敗れた。このことをどう思った?」

何人かの子どもが手を挙げて答えます。

「悲しい。」
「くやしい。」

といった意見を言う子が多いのですが、

「うれしい。」
「やった!と思う。」

という意見の子もいました。ちょっとひねくれたことを言ってみたい気分の男の子たちです。

書く前に、「自分の立場」を決めなさい


先生は男の子たちのひねくれた気持ちもお見通しのようで、そのまま授業を進めていきます。

「ローマ人側かケルト人側か、で思うことが違う、ということだね。ローマ人にとっては「やった!ついにブーディカを倒したぞ」うれしい、と思うし、ケルト人は「自分たちの女王が負けてしまった」悲しい、くやしい、と思う。全く違う意見になるね。ジャーナリズムには、自分がどの立場であるかを決めることが必要なんだ。」

新聞記事の書き方ってこういうことを教えるんだ、と私は興味深く思いました。

次に先生は子どもたちに、ローマ人とケルト人のどちら側につきたいか、それぞれ好きな方を選ばせました。このクラスにはイギリス人が23人いるかいないか、という印象でしたが、ケルト人側を選ぶ子が多くなりました。

先生は、ローマ人側の子ども 1人とケルト人側の子ども34人をひとつのグループを作りました。グループごとにお互いの立場から相手にインタビューをして、そのやりとりを発表するというアクティビティに移りました。

「どう感じたか、どう思うのか。それによって人の行動は変わる。だからどう思うのか質問することが重要になるんだ。」

最後に、グループごとに質問し合った内容をプリントにまとめる作業をしました。

先生が子どもたちに配った紙には大きな人型が印刷されていて、その人型の内側には感情、外側には行動を分けて書き込むようになっています。教室内はずっと賑やかで、子どもたちは真剣に取り組んでいました。

その日の授業はここで終わりましたが、その後の授業では、このプリントを元にケルト人側とローマ人側それぞれの立場の新聞を作り、読み比べたそうです。

これは新聞記事ではないですが、子どもたちの作品。
情報だけを記述するライティングは別のスタイルとして学びます。


言論の場として、新聞を書く子ども


実際の新聞記事を比べたらどんなふうに違うのかな? と疑問を持って、本物の新聞記事を読み比べるところまでできたら、この授業をより深く理解したことになると思いますが、そこまでは先生から要求されていなかったようです(息子もそこまではできませんでしたが、クラスでそういうことをやった子はいたのではないかな、と思います)。

書くときは自分の立場を明確にすること、読むときは書き手の立場を読み取ること。なかなか難しいテーマに取り組んでいますね。言論の場としての新聞、改めて考えさせられました。


野口由美子

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