2018年6月1日金曜日

日本人として求められる意見。母は冷や汗、息子は冷静。

私が今住んでいるアムステルダムとその周辺地域は外国人が多いのですが(日本人も多いです)、人によっては、私が初めて出会う日本人、ということで、私をきっかけに日本に興味を持ってくれる方もいます。

日本の観光名所や食べ物の話をしている分にはいいのですが、過労死、自殺といった社会問題、政治、宗教の話となると、私はかなり苦戦、というのが正直なところです。

相手の質問に冷や汗をかいた私


先日は、オランダの友人女性から

「日本人はなぜクジラを食べるのか。クジラを殺すのは良くないと考えないのか。」

と聞かれました。どうしてクジラの話になったのかよくわからないのですが、彼女がベジタリアンで、極端なくらい動物愛護に熱心なことはすでに知っていたので、昔から疑問に思っていたことを、素直な気持ちで私にぶつけてみたのかもしれません。

私は、日本人の宗教観、価値観の話を聞きかれていると感じ、

「伝統的な日本人の価値観は、動物でも植物でもすべての命が同じように大切で…」

というような話をし始めていました。

「他者の命を無駄にすることが一番悪い、と考えるので、植物でも動物でもクジラだって、食べる分だけ必要な分だけ獲る、ということを昔からしてきたわけで、その限りではクジラを絶滅させるほどの乱獲にはならなかったはずで…」

と結局は歯切れの悪い説明になってしまいました。

彼女自身は、動物を殺すことはどんな理由でもダメ!という立場で、植物も動物も同じ命なのだから、という最初のポイントからわからなかったようでした。

「でも、植物と動物は違うと思わない?」

 と繰り返し質問され、この点については平行線のまま。

「そういうあなたの意見はわかる。」

と私も認め、お互いに違う価値観を知るって面白いね、ということで、許して(?)もらいました。

それにしてもこういう時、弁の立たない私は冷や汗をかいてしまいます。

子どもも大人と同じ経験


その日、学校帰りの子どもたちにこの話をしてみました。環境保護関連のトピックは学校の授業でも頻繁に取り上げられているようなので、子どもたちも何か似たような経験したかもしれないと思ったのです。

「なんで日本人はクジラを食べるの?それひどくない?って友達に聞かれたことある?」

と私が聞くと、息子がちょっと苦い顔をしました。

「ああ、それ、あるよ。」

学校の授業では、クジラは絶滅危惧種だという話になって、日本の捕鯨についても触れられたそうです。

息子は友達に問い詰められて、日本人代表として回答を求められたようです。

(写真は娘の作品。クジラではないですが)
授業では、絶滅危機の動物のひとつとして、クジラの話が取り上げられていました。
娘の場合は「日本人は悪い」みたいな話を聞いて肩身の狭い思いをしたそうです。


子ども自身で編み出した論法


「そういう時は相手に考えさせるんだよ。そうすれば黙るから。」

私が思っていた以上に、息子はシビアな議論に慣れているのかもしれない、とちょっと驚きました。

「なんでヨーロッパ人も昔はクジラをたくさん獲ってきたの?」

「なんでヨーロッパ人は獲ったクジラの油だけ取って、あとは捨ててきたの?日本人はクジラを食べるだけでなく、骨も使って無駄にしなかったよ。」

「クジラを食べることじゃなくて、昔クジラを獲り過ぎたことが悪いんじゃないの?」

「こうやって質問するとだいたいみんな、黙る。」

誰かに教わったわけではなく、彼が自分で編み出した方法のようです。確かに彼のやり方は、

  • 相手を否定しない
  • 争点を自分で設定する
  • さらに自分の望む答えを引き出せる質問内容に話を持っていく

というポイントを押さえています(本人は無意識でやっているようですが)。自然にこういうことを身につけるのか、と私は彼が普段身を置いている環境が思った以上に「大変」なものだと初めて知った気分でした。友人との会話に冷や汗かいている場合ではなかったです。

そして彼の中でクジラの話は、

「話しても無駄、文化の違い。」

という結論が出ていた点も興味深かったです。お互い関心を持つことはいいことですが、いつも簡単に優劣を決められる、というのは確かです。

ただ、友達と走り回っていれば満足しているように見えた息子も、確実に成長していろいろなことを経験しているんだなあ、と思いました。


野口由美子

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