2018年6月11日月曜日

「いちいち失望しているようではまだ甘い」本当の大人を見た

子どもの誕生日の話はよくしますが、今回は珍しく自分の誕生日に起きた小さな出来事の話です。今年の誕生日はちょっと特別なことを、と私が前から行きたかったコンサートに出かけました。

コンサートといっても、今人気のバンドや歌手などではなく、かなり渋いクラシックコンサート。ロックやジャズもいいけれど、今住んでいるオランダではクラシックが一番身近に感じられます(毎シーズン何回か聴きに行きますが、カジュアルで飲物のサービスまであって、気軽に入れます)。

演目は、

コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク指揮
マーラー交響曲第9番

コンセルトヘボウのホールで聞くコンセルトヘボウ管弦楽団はやはり世界屈指のオーケストラですし、ハイティンクは巨匠、と呼ばれるような特別な存在。チケットの値段も他の指揮者よりも1.5倍くらい高いのですが、それでも早く売り切れます。熱心なクラシックファンではない私ですが、一度は聴いてみたい、と思っていたので、いつもだったら買わないような高いチケットを買って、ずっと楽しみにしていました。


コンサート当日にがっかりしたこと


当日、開演1時間前にはホールの入口に来ていました。すでに人が集まり始めています。ふとモニターの画面に映し出されている今日の上演スケジュールを見ると、

指揮: ケレム・ハサン

指揮者の名前が変わっているのを見て、愕然としました。慌てて、チケットのメールを見直そうすると、数時間前に指揮者変更のお知らせがメールで届いていたことに気づきました。

ハイティンクは前の公演終了時に転倒し、現在快方にむかっていますが、休養が必要と判断し本日の指揮は行わないことになりました。指揮はアシスタント・コンダクターのケレム・ハサンが務めます。

私はそのメールを見た瞬間に、窓口に直行しました。

「今日のチケットの払い戻しはできますか。」

「それはできません。オーケストラは揃っているし、演目も変更ありません。指揮者が変更になっただけでは、払い戻しはできないんです。」

でも、みんな指揮者を見に来ているのに、去年から楽しみにしていたのに、と完全にがっかりしている様子の私に窓口の女性は言いました。

「でもオーケストラはとてもいい状態だし、彼はとてもいい指揮をすると思います。ぜひ聴いていってください。」

その場しのぎに慰めの言葉をかけているだけだろうと私は思いましたが、チケットを無駄にすることもできず、会場に入ることにしました。


会場内に不満の声は?


周りの客席を見ると私のように動揺したり落胆したりしている様子の人はあまりいません。みんな指揮者の変更知っているのかな、と心配になってしまうくらいでした。他のコンサートと変わらないリラックスした雰囲気です。

開演時間になりました。演奏に先立ち、主催者の代表が指揮者の交代について説明しました。一瞬、ちょっとだけ会場の空気が変わり、この時初めて知った、という感じの人もいましたが、それでも平然としている人がやっぱり多かったです。ハイティンクは大事に至らず元気になってきている、という説明にほっとしている様子。どよめきさえ起きることなく、説明は簡単に終わりました。

みんなハイティンクを見たくて、かなり前から高いお金出してチケット買ったはずなのに、どうしてこんなに平然としていられるんだろう。私には不思議でなりませんでした。


指揮者の登場に観客は


そして、代役の指揮者が登場しました。

会場は、普段よりも温かい大きな拍手に包まれました。歓迎ムードで、観客は若い指揮者を応援しているかのようでした。その雰囲気に私は完全に意表をつかれていました。

張り詰めた第1楽章が終わり、指揮者はハンカチで両方の手のひらをゴシゴシ拭きました。堂々と指揮をしているように見えましたが、かなり緊張しているようです。巨匠の代役、こんな大役を急に任されてしまったのだから当然かもしれません。

しかし、その後は緊張が和らいだのか、ぐっと演奏に幅が出て、第4楽章に入るときにはホール全体の空気が変わっていました。

指揮者の実力だったのか、オーケストラのメンバーが緊急事態にいつも以上の力を出したのか、その両方があったからか、私にはわかりませんでしたが、ホールは一体感に包まれ、感動的な演奏になっていきました。

演奏後の拍手は今まで観たコンサートの中では一番熱烈で、観客のほとんど全員が立ち上がっていました。指揮者はもちろん、オーケストラのメンバーも満足そうでした。


スタンディング・オベーション。拍手は長い間鳴り止みませんでした。

ハサン自ら語っている言葉もよかったのでツイッターを引用します。


「器の大きさ」が違う


私は、開演前にがっかりしていた自分が恥ずかしくなりました。コンセルトヘボウで演奏したこともない代役の指揮者。まだ26歳の若者。ほとんどの人は彼の名前さえ知らなかったのではないかと思います。でも観客は突然現れた若い指揮者を最初から応援していました。最初に観客が拒絶していたら、今回のような演奏はできなかったと思います。聴衆の器が大きさを感じました。

今回降板したハイティンク自身も50年ほど前に代役でコンセルトヘボウで指揮をしたのがデビューだったそうです。今回同じような形で代役の指揮をしたハサンも、もしかしたら10年後にはコンセルトヘボウの首席指揮者になるかもしれないし、30年後には名指揮者と呼ばれているかもしれません。そう考えると、今回自分はむしろラッキーだったのでは、とさえ思えてきます。

期待はずれ、がっかり、失望。自分も誰も悪くなくても、嫌な出来事を完全に避けることはできませんが、そんな時、ただ失望して諦めてしまうようでは、まだまだ甘い。そんなことを教わったような気がしました。もう私自身も歳を重ねていい大人、と思っていたのですが、まだまだ至らない自分に気づかせてもらった、いい誕生日になりました。


野口由美子


追記: ケレム・ハサン氏のツイッターの引用を差し替えましました(2018年6月12日)。






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