2019年3月28日木曜日

日本の英語教育は、英語以前の問題?

海外に住むことになってから、子どもたちは日本と違う教育を受けるようになり、親も(わからないことばかりで、、)勉強の日々です。言葉も違えば考え方も全然違う学校を比べると、初めて気がつくこともたくさんあります。


日本の小学校は楽?


息子は日本の小学校に体験入学した時、初めての授業についていくのも大変だったようですが、唯一、

「日本の学校って楽だよね。」

と言っていたことがあります。

「リーディングが全然ないんだもん。」

国語の時間のこと、というか、図書の時間のことを言っているようでした。息子が普段通っている学校では、図書の時間といったら、ひたすら集中して本を読まなければならない時間なのだそうです。それだけでなく毎日クラスで読書の時間があり、さらに毎日15分以上家での読書が宿題。本を読む時間も量もかなりあり、毎週先生がチェックしています。


なかなか読書が進まない息子に、
先生は息子向けのダイアリーを作ってくれたこともありました。


さらにクラスの授業では別に教材を用意していて、新聞記事やら文学作品やら詩やら、いろいろな文章をまた「読む」ことになりますし、先生が子どもが楽しめそうな児童書を選んで読み聞かせもしています(読み聞かせは低学年だけでのものではなく、高学年もずっと継続して取り組まれているようです)。

息子の学校はオランダにあるブリティッシュ・スクールで、生徒はほとんど英語が第2外国語、母語ではないのですが、小学生のうちからかなりの多読を進めていきます。

日本の学校の図書の時間は、ゆっくり好きな本を選ぶ時間だったそうです。読書の時間や量について先生がチェックすることもありません。国語の時間も基本は教科書の「精読」なので、文章量が圧倒的に少なく、息子は「楽勝」と思い込んでしまったようです。


子どもの読書力がカギ


イギリスの学校での英語教育は、
聞くこと、話すこと、読むこと、書くこと、
もちろんバランスよく身に付けることを目標としていますが、その中で最重要視されているのは

「読むこと」

と明言していますし、先生も

「子どもが本を楽しんで読めるようになっているか」

ということにかなり気を使っています。

読むことで、

  • 語彙が増える
  • 文法の理解も深まる
  • 書く能力にもつながる

というふうに他の技能の向上につながると考えられていて(書くことは他の技能よりも時間がかかるとされています)、
知識を吸収するという勉強の基本も「読むこと」が大切だとされています(異論はないところですが)。

確かに英語だけに限らず、私の周りにいる、複数の言語習得がスムーズに進んでいる子は

「(必ずしも先生が推薦するような本とは限らなくても)たくさん読んでいる」

と思います。


教科書では中途半端?


日本の小学校でも、夏休みの読書感想文、読書日記など読書指導はあると思いますが、学校の授業は教科書が基本なので、扱える量は限られてしまうと思います(教科書の内容は素晴らしいものなのですが)。もっと長い本を丸ごと1冊読ませて、文章を体系的に読み取ったり、自分の考えをまとめたり、という機会がとても少ないように思います。

英語の話なのか、国語の話なのか、ごちゃごちゃになっていると思われるかもしれませんが、国語の「言語教育」で手薄になっている部分が、そのまま英語教育でも手薄になってしまって、日本人の英語の勉強がとてもアンバランスなものになっているのではないか、というのが最近私の思うところです。

母語が日本語で日本に住んで、日常的に日本語にたくさん触れられているのであれば、そこまでこだわらなくても日本語は身につけられるのかもしれません。でも、言語が2つ、3つと増えてきたら、読むことによるインプット量が大きな差になるのでは、という気がしています。

従来の(たとえば、私が日本の中学高校で習ってきた)英語教育は読解、文法に力を入れてきたと思われていますが、言語を学ぼうとしている割に教科書は薄っぺらで、中途半端な量しかこなせていなかったのかもしれません。

これからは小学校でも英語教育が本格的に始まりますが、話すことと聞くことを重視する割には始めるタイミングが遅すぎるし、教科書を中心に授業をしているだけではバランスが取れないのではないかと思っています。

テストで良い点を取るだけであれば、本を読むことは必須ではないし、逆に非効率なのかもしれません。本を読むことが最初から好きな子もいれば、好きになるまですごく時間がかかる子もいます。苦手な子はかなり苦労します。

それでも「読むこと」をこれだけ重視する教育スタイルを目の当たりにすると、やはり「本しかないのでは!」と思う今日この頃です。


野口由美子

2019年3月20日水曜日

10年後の自分への手紙。10歳で夢を持つのは難しい?

20歳の自分に手紙を書く

という単元が小学4年の国語にあります。

「10歳くらいだと、まだ子どもらしい素直な夢を持つことができるのではないかと思います。」

と日本の先生が言っていたのが印象的でした。そういう純粋な気持ちで、子どもが将来の自分の夢を抱く、というのがこの単元の想定のようです。

子どももだんだん大きくなると、将来の夢はサッカー選手やケーキ屋さん、みたいな子どもらしさはなくなるだろう、というのは私も想像に難くないですが、その時は

「そうだろうなあ。」

と納得しながら先生の話を聞いていました。


チューリップの季節が近づいてきました。



将来の夢は「ない」


では、10歳息子の将来の夢は何なのだろう、と興味津々で、20歳の自分に手紙を書く宿題を見ていました。

「将来の夢なんかない!僕そんなの考えたくない。」

息子は怒った調子で、

「夢はない」

と宿題に書いていました。それで終わらせるのはもったいないと思ったので、私は口を挟んでみることにしました。

「テニスの選手は?」

「無理だよ、そんなの。ぼくテニスを仕事にしたくない。」

「20歳だったら、まだ大学とかで勉強していているかもしれないし、働くことだってできるんだよ。まだ勉強していると思う?それとも働いてみたい?」

「そんなのまだわかんないよ。」

「それはそうだよね…」

息子の気持ちもわかるような気がします。


「子どもらしい」のは7歳まで?


取りつく島もない息子の横で、7歳の娘に将来の夢を聞いてみると、

「大坂なおみみたいなテニスの選手になって、あとペットシッターとか動物のお世話をする人になりたいし、自分も犬とネコを飼うの!」

と即答してくれていました。純粋に子どもらしい夢を持つには10歳は大きくなりすぎたのかもしれません(息子が7歳の時は、写真家になりたいと言っていましたね)。

スポーツ選手になりたい、みたいな無邪気さもなければ、自分の強みや嗜好を職業選択に結びつけられるような先見もない息子は、ある意味10歳らしい、といえるかもしれない、と私は思い直すことにしました。


大人になった自分が行きたい所は?


将来の夢というのは「職業」に限定しなくてもいいはず、と私は方針転換して、質問を変えました。

「将来の夢はないっていうのでも、もちろんいいと思うよ。本当にそう思うのならね。でも、夢がない、だけじゃ作文の宿題にならないから、ない理由をちゃんと書きなよ。」

やはり、それでは何も書けないままの息子。

「じゃあさ、大きくなったらやってみたいこととか、行ってみたい所とかないの?」

「うーん、宇宙に行ってみたい。月で石を拾って来たいな。ほら、今度日本人のビリオネアが宇宙に行くよね。未来になったら、もっと少ないお金で行けるようになっているかもしれないし。」

どうやら、宇宙飛行士、としてではなく、単なる旅行者として宇宙に行ってみたい、ということのようです。彼にとって、未来の宇宙は、アルバイトでもしてお金を貯めれば行けて、今までにない体験ができそう、くらいの所みたいでした。

「今ぼくは大きくなったら、うちゅうに行きたいと思います。ぼくは月に行って日本の旗をさしたいと思います。」

そんな書き出しで、ようやく、宿題の作文を書き進めることができました。

作文を見ていて面白いと思ったのは、息子にとっての「月」は、子どもの時の私には「海外」くらいだったのではないか、ということでした。行ってみたい未知の世界、といったら子ども時代の私にとってはせいぜい「アメリカ」くらいだったのではないかと思います。

世界は狭くなりました。情報は早いし、大量に流れきて、子どもだってそれを見ているわけです。

それでも、子どもが夢を持てる場はまだあるのかな、と思います。


野口由美子

2019年2月27日水曜日

子どものため、が子どものためにならなかった話

先週は学校のお休みだったので、家族旅行に行ってきました。今回の旅行は、

「子どもたちの行きたい所で、子どもたちのやりたいことをしよう!」

ということにしていました。


子ども最優先、で計画した旅行


子どものリクエストは

スペインのマヨルカ島あたり。

マヨルカは比較的最近行った所で、子どもの記憶によく残っていたためにマヨルカという地名が出てきたようでした。なぜいいのか聞くと

・ホテルに室内プールとテニスコートあり

・ハーフボード(朝食夕食はホテルで、夜遅くまでレストランにいないで済む)

・(泳げなくても)ビーチがある

・シーフードが美味しい

・とにかくリラックスしたい

というのがポイントだったようです。確かにその時の旅行は、オフシーズンのリゾートホテル(なぜオフシーズンに?と思われるかもしれませんが、宿泊費も半分くらいになるので、高級な所にも手軽に泊まれるのがまたいいのです)でのんびり過ごしていました。

街を観光して歩き回るのは子どもたちが苦手とするところ。ましてや美術館に入ったり、ショッピングをしたりなんて、好きではないのはわかっていました。でも最近は、歴史的な建造物など興味深く見ている姿もあり、子どもの成長を感じていたのですが、やっぱり旅先では何もしないのがいいみたいです。

子どもからのポイントが網羅された所、ということで今回はスペインのマラガ近く、マルベーリャを選びました。


子どものペースで過ごすのも楽しい、けれど


朝からプール。ビーチを散歩して、昼食は近所のレストランでシーフード。午後はテニス。夕方はゲームをしたり読書したり。夕食は早めにホテルのビュッフェ(スペインは夜レストランが開くのが8時9時が当たり前で、早く部屋に帰れるのはいつも以上にありがたいことなのです)。


海に入れなくても、ビーチは楽しいらしく、
何時間でも過ごせるのでは。


私も毎日朝から泳いで健康的な生活(でも、せっかくあるからと朝食からホテルでカヴァを飲んでしまって、アルコール摂取量も増え、健康にマイナス面もあるのですが)、読みたい本も読み進められたし、何よりリラックスできてよかったです。でも、せっかくの旅先だからちょっとお店を見て回ってお土産を買いたいと思いました。

帰りのフライトの前日、ホテル滞在最後の日に

「ちょっとマーケットに買い物に行かない? スペインのお塩を買って帰りたいんだけれど。」

子どもたちにそう言ってみたら、

「絶対イヤ! ショッピングなんかに行ったらそんなのホリデーじゃない!」

完全拒否、最後は半泣きで拒まれました。

私にしてみれば、これまでずっと子どもたちの希望通りにやってきたのだから、

「ちょっとくらいママに付き合ってくれてもいいのでは?」

という言い分なのですが、子どもにしてみたら、

「なんでここまできて、今さらそんなことしないといけないの?」

という気持ちだったようです。


この時期のアンダルシアは静かで、いい所でした。



子どものため、自分のため


この時私は、失敗したな、と思いました。子どものために、なんてすべて犠牲にしてしまうと親の私は

「ここまでやっているのに、少しくらい言うこと聞いてくれてもいいじゃない!」

と思ってしまい、子どもは子どもで

「最後まで全部やりたいようにやらせてよ。」

と、お互い全く歩み寄れなくなってしまいました。旅行先で険悪になるのは残念なのですが。

これは旅行だけのことではないかもしれないですね。子どものためにと思って親が一生懸命(自己犠牲もしながら)だと、子どもがうまくできなかったり、嫌がったり、期待する結果が得られない時に、つい

「どうしてダメなの!?」

と落胆したり、怒ってみたり、してしまうのですが、そもそも子どものため、と思って始めたことなのに、子どもが期待に応えてくれない、と勝手に期待して勝手にがっかりする自分も悪いのでは、とさらには自己嫌悪…何もいいことがない気がしました。

家族旅行は家族全員のため。

ということで、

・子どもが行きたいプール

・パパが行きたいレストラン

・ママが行きたい美術館(私だけショッピングが追加されることもあるのですが)

の3つは必ず旅行の日程に含めることにします!


野口由美子


2019年2月5日火曜日

海外から見た、日本の小学校「先生が厳しくない」?



海外生活が続いている私たち家族ですが、息子小学4年と娘小学1年が日本の小学校生活を体験しました。日本で初めての学校生活、2人に共通した感想は、

「先生がやさしかった。」

でした。

漠然としたイメージ(私の固定観念です、、)に過ぎないのですが、海外の学校の方が子どもが自由でのびのびしていて、日本の学校の方がルールやマナーを重視している、と思っていた私は、ここでも漠然と、日本の先生の方が厳しいのではないかと想像していたので、意外に思えました。

「やさしい」の意味も、その国の文化、文脈によって意味が変わってきそうな気もします。


東京の風景。ヨーロッパの風景とは全く違っていて、
ここに暮らす人の文化も違って当然だよなあ、と改めて思いました。



やさしい先生=叱らない先生?


子どもたちの通っている学校は、確かに規律には厳しめ(イギリス国外にあるブリティッシュ・スクールなので、アメリカン・インターなど他の学校とは教育スタイルが違うかもしれませんね)。

息子くらいの年齢になると、体育の着替え時間にふざけていた、集会の時きちんと並んでいなかった、みたいなことでも結構厳しく注意されるようで,
大人の私が見ていても

「先生怖いなぁ。」

と思ってしまうくらいの叱り方をします。


「授業中うるさかったから、クラス全員休み時間を5分減らされた。」

みたいな罰則も多いようでした。

偶然にも、どちらの学校でも、息子の担任の先生は、中堅くらいの年齢、見た感じはやさしいけれども厳しい先生、というような似た雰囲気の先生に見えました。でも、日本の学校生活で、息子は、先生が厳しく叱ったり罰を与えたりする場面に全く会わなかったそうで、息子は「先生がやさしい」と思ったようです。

最近日本では、学校での厳しい指導に対して、親から苦情が頻繁に来るようになったのかも、という話も聞きました。確かに、そういう事情もあるのかもしれません。先生に対する親からの要望もまた、違いがあるだろうと思います。難しいところです。


やさしい先生=子ども第一?


娘の担任の先生もやさしかった、です。こんなこともありました。日本での学校初日、私は下校時間に学校の門の前で娘を待っていました。

娘と同じ小1の子たちがどんどん帰って行きますが、娘は出てきません。下校する子たちの流れが途切れ、心配になった私は門から入って娘を探しに行きました。すると担任の先生がずっと娘と一緒に私が来るのを待ってくれていました。先生は私に今日の様子を直接報告して、直接娘を私に引き渡したかったようで、わざわざずっと待っていてくれていたみたいでした。

「今日は本当によくがんばっていました。」

クラスでやったことや休み時間の様子など、先生は詳しく話してくれました。

海外生活ではいつも、学校の子どもの様子を知りたいと思ったら、親から先生に聞きに行かないとダメ、と思っていた私にとっては、私から聞かなくてもいろいろ教えてくれる先生に驚きでした。

今までの海外生活では、先生の所へ行っても、大抵

「大丈夫、大丈夫!」

みたいな感じで終わってしまうので、こちらからいろいろ話していかないと知りたいことは聞き出せません。先生も、聞きたいことがあったらいつでも聞いてください、と親切に言ってくれるのですが、


「私のやることはここまで、です。」

というような暗黙の線引きがはっきりしていて、それ以上は対応してもらえないだろうな、という雰囲気を感じます。もちろん、仕事の責任をはっきりさせること自体は悪いことではないですし、先生に限らず、ヨーロッパ的な個人主義といった価値観や、仕事観に通じるのかもしれません。

日本の仕事観は、責任があいまいであれもこれもと過度な負担を与えることにもなっていると思いますが、もっと、仕事第一(先生だったら、子ども第一、ということだと思います)でがんばっている、とここでも感じずに入られませんでした。

娘は、

「〇〇先生(日本での担任の先生)の方が、Mr. XX(オランダでの担任の先生) よりやさしい。」

と言っていました(どちらも若い先生で「やさしい」感じ、正直なところ、Mr. XXの方が見た感じも授業のスタイルもスマートな印象を与えるのですが、そういう表面的なことに惑わされない娘にちょっと感動してしまいました)。



先生と一言で言っても、どの国にもいろいろなタイプの先生がいるのだから、一概に言えることではないのですが、日本で小学校の先生を見ていると、

「先生が一生懸命やってくれているなあ。」

と感じることばかりでした。多分そういう先生の誠実さは、「やさしい」と子どもの目に映ったではないかと思います。もしかしたら日本の先生はがんばり過ぎているのかもしれませんが、いい先生に巡り会え、とても感謝しています。


野口由美子
 


2019年1月24日木曜日

海外から日本の小学校へ、10歳で初めての体験入学

初めて日本の小学校に体験入学をした子どもたち、3週間という短い期間でしたが、いろいろな経験ができました。

「日本の小学校も好き。楽しかった!」

というのが今回の子どもたちの感想で、これは担任の先生やクラスの子達のおかげ。本当に感謝ばかりでした。日本の小学校を体験できてよかったと思います。

日本の学校に通い始めた当初は
朝からちょっと緊張していました。

保護者会などで、クラスの親御さんと話してみると、意外にも

「海外の学校教育っていいって聞くから、うらやましいですね。」

なんて言われることが度々ありました。

「そうとも限らないですよ。いいところもよくないところも、それぞれありますし。」

と、そこからいくらでも長所短所の話ができる私から見ると、日本の小学校だっていいところがたくさんあると思いました。国によって教育に対する考え方が違うのは当然のこと。そこから生じてくる長所短所は表裏一体なのではないかと思います。

では、私のような大人ではなく、子どもの目からは日本の小学校がどのように見えたのか、興味がありました。

自分の体験だけで日本の学校はこうで、海外の学校ではこうだ、とまとめてしまうのは乱暴ですが、子ども自身が体験した2つの学校の違いについて、10歳の息子が特に気になったのはこんなことだったみたいです。

「クラスに40人は多すぎる。」


たまたま日本で息子の入ったクラスは、児童数が39人でした。今東京都の小学校は3年生以降は40人学級なのだそうです。40人ギリギリのクラス編成になっているケースは実際にはそれほど多くないのかもしれません。その小学校の中でも特別人数の多いクラスだったようでした。

息子が昔住んでいたイギリスでは低学年クラスの上限が30人と決まっていましたし、今の学校では息子のクラスは20人。息子はこれだけ大人数のクラスに入ったことはありませんでした。

「クラスがざわざわしていることが多いし、クラスの子の名前も覚えられない。人数が多すぎると思う。」

最初はすごく戸惑ったようでした。

オランダでも教員人不足などの理由で、1クラスの人数が多すぎる問題はあるそうです。でも、30人を超えるクラスが問題とされているようで(オランダには10%程度あるそうです)、オランダで日本ではクラスの上限40人だという話をしたら、

「オランダも40年前はそんなだっだわねえ。」

と言われてしまいました。確かに私自身が子どもだった頃も40人学級だったように思いますが、さすがに今の時代に合っていないのではないかと思いました。


「なぜ黒板を使うの?」


「黒板って他の日本の学校では使っていないよね?」

日本で先生が黒板を使って授業するのを見て、これは自分が今通っている学校だけのことだろう、と思ったようでした(オランダの博物館で、黒板のある教室が「歴史的な建造物」として保存されているんですよね)。

「日本は黒板を使っている学校の方が多いと思うよ。」

と話したらびっくりした顔をしていました。

息子は、

「黒板は大変すぎない? パワーポイントでいいんじゃないかなあ。」

と思ったそうです。私も日本で授業参観をさせてもらったのですが、その時は

「先生の黒板の使い方が上手すぎる。」

と思いました。

先生は黒板1枚に授業にやったことが凝縮されるように書いていきます。授業が終わった時に黒板を見ると、その授業の内容が一目でわかるようになっていました。

先生が黒板を書いていると、先生が背を向けることになって授業がストップしてしまうから良くない、と私は思っていました。でも、先生が黒板を書いている時間は、自分で教科書の内容を読んだりノートに書いたり、自分で考える時間になっていて、黒板を書く時間も有効に使われているようでした。

でもそんな授業ができるのはそれだけ訓練してきたからでしょうし、先生全員にそんな黒板使いの高い「技術」が要求するのは、息子から見ると不条理なことなのかもしれません。

「給食当番や掃除当番ってみんなでやるんだね。」


そもそも給食当番も掃除当番もない学校生活を送ってきた息子にとっては、係や当番は新鮮だったみたいです。日直、係、給食当番、掃除当番など、クラスではいろいろな役割をみんなが分担します。日直や当番はみんなが交代でやるし、誰もが何かの係の仕事を担当します。

あたりまえ、のことに思えるかもしれませんが、普段子どもが通う学校では、「みんなで仕事を分担する」という発想はないように思います。「自分がやりたいと手を挙げた子がやる」ものなのですよね。主体性がなければ意味がないのだと思います。

主体的に奉仕することが大切、ということになると、静かに黙って、何もやらずに済ませることもできますが、それでも

「私がやります!」

と言う子が必ず出てくるようです。これこそがボランティア精神だと思うのですが、あまり積極的でない息子にとっては、日本の「みんなで協力し合うことが大事」というやり方も悪くないと感じたようです。

慣れない学校生活、息子は、毎日学校から帰ってくると、気が抜けてしまうのか家でぼーっとしていました。始まった当初は特に戸惑いや緊張の連続だったようです。


子どもの視点から見えるものは、意外と文化の本質的な違いにつながっているようで、話を聞いていて面白かったです。

内心驚いたのは、息子が、下校時間には私に家にいてほしいと頼んできたこと。日本にいると登下校も友達の家に出かけるのもひとりでできるので、息子は急にひとりで行動することが多くなりました。急に自立してしまったようで、母親のことが鬱陶しくなってきたのではないかと思っていた矢先、ちょっと意外でした。

私が家にいても、息子はぼーっとしているだけで、特に私に何かをしてほしいわけではなかったようですが、息子にとって、親子一緒にいる時間はもうしばらく必要なのだろうと改めて気づかされました。


野口由美子








2018年12月7日金曜日

一時帰国中に小学校へ体験入学、最初に驚いたこと

我が家の海外生活も6年目、子どもたちは日本の小学校に行ったことがありませんでしたが、ついに今回の一時帰国中、小学校に体験入学しました。

我が家の場合、いつかは日本の学校に通うことになるので、早いうちに少しでも日本の学校を知っておいた方が本人たちの負担も減るだろうと思ったからです。海外生活も長くなると、子どもたちの年齢も高くなり、柔軟な子どもといっても、違う環境に適応していくのは苦労するものです。

海外生活を始めた時よりも日本に帰った時の方が、子どもが困難に直面することになるのではないかと私は心配していました。いきなり違う環境に放り込まれるより、できれば少しずつ知って慣れていけるのがベストではないかと思いました。


日本の小学校に行ってみたい


毎週土曜日の補習校も日本の小学校に近い授業スタイルを経験する機会になっていましたし、子どもが好きなドラえもんも日本の学校生活を知る情報源になりました。

「学校ではトウバンの子がランチを配るんだね。」

「宿題って毎日出るのかな。」

子どもたちにとっては新鮮なようでした。日本に憧れる子どもたち、

「日本の学校に行ってみたい!」

と言ってくれて、事前準備はバッチリだったと思います。


一時帰国中の体験入学、ではない「就学」の条件


私の子どもたちがお世話になる小学校では、「体験入学」という制度はなく、一時帰国中だけでも「就学」するという形をとっています。期間も最低3週間必要というルールもありますが、基本的には受け入れてもらえるようです。

受け入れてもらう小学校には帰国前の段階で連絡を取ることが必要でしたが、電話だけの連絡では足りないようで、私は義理の両親に頼んで、学校に説明を聞きに行ってもらいました。

海外の小学校に慣れきっていた私にとって、先生からの事前説明はいろいろ驚くことがありました。

「家から学校に子どもだけで通う、ということも学校生活の一部ですので、そのことも理解してください。」

自治体によっては、一時帰国中の子の場合は、親の送迎を学校から依頼されることもあると聞いていたのですが、子どもの行く学校では「できるだけ子どもだけで学校に行けるようになってほしい」ということでした(ただ、区に提出する書類には子どもの登下校の安全は親が配慮する、と明記されているのですが)。


1人で学校に行ける?


海外で小学生の子が1人で学校に行く国はなかなかありません。オランダでも(当然のこととして)少なくとも10歳くらいまでは大人が付き添って登下校します。

「ひとりで学校行ってみたい!」

と楽観的で乗り気な娘7歳と

「ぼくにGPS付けてくれないとダメだよ。迷子になっちゃうかもしれない。」

といろいろ悪い想像が膨らんで不安になる息子10歳と

「子どもだけで外を歩くなんて、大丈夫かな。」

とやっぱり不安な母、私。子どもたち自身が1人で行きたいと言うまで、登下校は付き添うつもりでいました。


子どもが不安? 親が不安?


登校初日、私も一緒に登校しました。

車や通行人が多い交差点には用務員の方や警察官が立っていますし、通勤がてら一緒に歩いている親もいました。不安だった私でも、

「これなら子どもだけで大丈夫だな。」

と思えました。

学校の帰りも、1年生は同じ方向の子が一緒に帰るように先生に指導されていて、上の学年になれば友達同士でつるんで帰っています。子どもたちも不安とか危ないとか思わないようです。

子どもたちは登校2日目で、早々に、

「友達が一緒だから、ママは学校に来なくていいよ。」

と言いました。

「本当? もういいの? 平気?」

いらないと言われているのに、繰り返して聞いてしまう私。やっぱり学校を出てママの顔が見えなかったら不安になるんじゃないかな、と勝手な心配をして、私は翌日3日目も校門から少し離れた所で、子どもたちが学校から出てくるのを待っていました。

まず、下校してきた娘が私に気づいた第一声、

「ママ、来なくていいって言ったじゃん!来ないで!」

いつでもどこでもママについて来て欲しがった娘の変わりようにびっくりしてしまいました。


ママよりお友達がいいようです



続いて門から出て来た息子。私と言葉を交わすのも恥ずかしいようで、逃げるように通り過ぎようとしました。それでも私が呼びかけてしまうと、

「ああ。ぼく行くから。」

友達と足早に去って行きました。

子どもたちはすっかり日本の登下校に慣れていましたが、私だけがまだ適応できていなかったのです(私の心配症はどこに行っても治らないかもしれませんが)。


当たり前の登下校も貴重な体験


せいぜい徒歩5分程度のことですが、子どもたちは、親なしで外を歩ける自由を満喫しているみたいです。それは、ここでは当たり前のことなのかもしれませんが、私たちにとってはすごいことです。

登下校ですでにこんな調子なので、たくさん違いに戸惑ったり驚いたりしています。いいとか悪いとか最初から決めつけずに、いろいろなことを体験していろいろなことを感じてほしいです(私自身も、ですね)。


野口由美子

2018年11月30日金曜日

10歳、大人の言うことを聞かないのはダメな子か

子どもは素直なのがいい、というのは確かですが、素直=大人の言うことをよく聞く子、という意味になっているんじゃないかな、と思うことがあります。

学校の「教育」は「大人の言うことをよく聞く子」を前提としているように感じていた私は、自分自身が子どもだった時も、自分の子どもが学校に行くようになった今も、もやもやした気持ちでいました。

自分を含め親や大人の言うことは絶対ではないし、子ども自身が思っていることや考えていることを、きちんと相手に伝えようとすること(最初からうまく伝えられないのは仕方ないとして)が「素直」なのではないかな、とぼんやり思っていました。


言うことを聞かない子どものための授業?


ある日、そのもやもやが吹き飛ばされました。息子が学校帰りに私にこんなことを言いました。

「ママ、僕ね、今クリティカルシンキングのクラスに入っているんだよ。このクラスは面白いね。」

「えっ?何?」

私は思いがけない単語が息子の口から出てきたのでびっくりしました。クリティカルシンキングって、今は小学生でも習うものなのでしょうか(息子の学校では、クラス全員対象の授業ではなく、一部の子ども向けの取り出し授業扱いのようで、必修ではないみたいです)。

私自身は、クリティカルシンキングという言葉とともにその思考法を教わったのは大学生の時でした。私は子どもの頃、ずっと反抗期だったうえに、何でも鵜呑みにするのが嫌い、一歩引いて考えるタイプで「ひねくれた子だ」と言われ続けてきましたが、そういった「ひねくれ」がついに認められたような気がしました。もっと早く誰かに教えてもらいたかった、と悔しかったのですが、本来勉強というのはそういう思考も要求されるはず、やっぱり大学生で教わるのは遅かったのかもしれません。


小学生に「ひねくれ」のススメ


でも、さすがに私も小学生相手に教えるのは難しいように思い、学校では先生がどうやって教えるのか、興味津々でした。

息子(本人なりに理解してきた範囲で)によると、クリティカルシンキングとは、

「考えることをあきらめないこと。」

なぜなら、

「先生だって間違えることがあるから。」

さすがに先生は、親も間違えることがある、とは言わなかったみたいです。

「なぜ空が青いのか、と質問するのもいいんだよ。」

当たり前に思えることでも、単なる思い込みかもしれない、間違いかもしれない。

「なぜそう思う?って考え続けるんだよ。」



息子が最近考えたクイズ(完全なオリジナルでなくて元ネタがありそうですが)。
数列の中に間違いがあるはず、という思い込みを利用したそうで、
正解はmistakeのスペルミス。

フェイクニュースの読み方も


授業では、先生は例として、だまし絵を子どもたちに見せたそうです(私の大学時代のテキストにもだまし絵が載っていたような気がします)。

ジャストローという精神分析医による「アヒルとウサギ」の絵です。


有名な絵なのでご存知の方も多いと思います。

「アヒルに見える人もいるし、ウサギに見える人もいる。見方によって違う動物になる。ものの見方はひとつとは決まってないよね。」

息子の説明はここまででしたが、言葉による意味づけをすると、ウサギとアヒルのどちらに見えるか誘導できるわけです。

同じ物事であっても、写真や映像をどのように撮影するかによって印象が全く変わってしまう、写真などを利用したフェイクニュースも紹介されたそうです。


反抗期が本格化する前に


学校でここまでやるなら、親もそのつもりでやっていくしかないな、と私も腹を括るような思いになりました。親の言うことも「批判」してみなさい、という心づもりで接していますが、今のところ、本気で話し合えば決裂することもないので、我が家の本当の反抗期はまだなのかもしれません。

でもやっぱり私自身、相変わらずひねくれているというか、自分が言うことを聞かない子だったと思うので、子どもの反抗的な態度を見ると応援したくなってしまいます。

「自分が考えていることを言ってごらん。」


野口由美子