「お父さん、私の翼を切らず、羽ばたかせてくれてありがとう。
(Thank you to my father, for not clipping my wings, for letting me fly.)」
17歳でノーベル平和賞を受賞したスピーチの中で、彼女が言った言葉です。まだこれはスピーチの冒頭部分なのですが、その言葉を聞いたお父さんが涙ぐみながら胸を押さえる映像はとても印象に残りました。パキスタンの女の子が教育を受けて、女性の権利のために立ち上がる姿はまさに「羽ばたいて」いて輝かしく見えます。
(興味のある方は是非スピーチのビデオを観てみてください。冒頭部分で感動してしまいます。 The Nobel Prize "Malala Yousafzai -Nobel Lecture." )
その時は、マララさんの「翼」に感動しつつも、貧困や紛争、女性に対する古い価値観といったイメージと結びついて、なんとなく、私たちとは違う世界の話に感じてしまっていました。
自分は翼を切ろうとしているかも
でも、私自身が親として「子どもの翼を切ろうとしていないか」と思わされたことがありました。
ある時、友人がこんなことを言っていました。
「親は子どもの邪魔をしないようにしていればいいんじゃないかな。大人が邪魔さえしなければ、子どもは自分でやりたいことを見つけて、自分で成長していくんだと思う。」
これはもしかして、翼を切る話につながっているのでは。翼、みたいな美しい表現よりも「邪魔をしない」という方が親の立場になった自分にはよく理解できました。
「あれしなさい。」
「こうすべき。」
「この方がうまくいくから。」
「そんなこと今やる必要ない。」
もしかしたら今自分は子どもの「邪魔している」かも。
娘の邪魔をしなかった母
私の子ども時代、親が私の「邪魔しなかった」という思い出があります。
1年生の私のクラスには先生の私物の学級文庫がありました。数百冊あったのではないかと思います。教室の窓側に本箱が並んでいました。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」「ぐりとぐら」「11ぴきのねこ」「エルマーのぼうけん」「マザーグースのうた」谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」などなど。
日本昔話やアンデルセン、イソップ童話くらいしか家になかった私には、こんな面白いものがあるのかと子どもながら衝撃でした。多くが絵本だったので、たくさんあるとはいえ、休み時間などを使って私はほぼ読み終えてしまいました。
母は、
「先生がね、お姉ちゃん(私はそう呼ばれていました)がすごく本が好きだって言っていたよ。」
と私を家の近くの図書館に連れて行ってくれるようになりました。
歩いて行ける近所の小さな図書館で、私は手当たり次第、本を借りるようになりました。借りてきても気に入らずに読まなかった本もたくさんあったように思いますし、脈絡なくなんとなく表紙を見て、みたいな感じで漫然と借りていただけだったように思います。
そんな手当たり次第に本を選んでいる私に、母は
「この本を読んでみたら?」
「これはいい本よ。」
というようなアドバイスをしませんでした。母と一緒に本を選んだ記憶がほとんどありません。
私の親の世代はあまり日本の創作絵本がなかった世代、ちょうど私が子どもの頃は、日本で作られた新しい創作絵本も海外の翻訳絵本もたくさんありました。家にそういう新しい絵本がなかったことを思うと、もしかしたら母はそういう本を知らなかったかだけかもしれません。
母は母で、大人向けの本のコーナーに行って自分が借りたい本を選んでいました。母は特別「高尚な」読書家ではなく、当時の流行作家だったり、アガサ・クリスティーのような推理小説だったり、いわゆる娯楽小説の類を借りて、家で開いていました。
「これ面白いのよねえ。犯人は誰なのかなあって考えながら読んでいると本当楽しい。」
母がそんなことをよく言っていたのは覚えています。本を読むと勉強ができるようになる、とか、いい本を読むべき、とかではなく、ただ「楽しいと思う本を好きに読めばいい」というスタンスの母だったので、私の図書館通いも続いたのだと思います。母自身も楽しそうでした(妹もいたので、本当は私の図書館通いに付き合うのは大変だったかもしれませんが)。
ただやみくもに本を手に取っていた私もだんだん、いろいろな本の面白さがわかるようになると、今度は近所の図書館は小さすぎると感じるようになりました。母は自転車で一緒に遠くの図書館に連れて行ってくれるようになりました。
それでも足りなくなって、区で一番大きな図書館にも行くようになっていた頃、私もようやく1人で図書館に行くようになっていました。たぶん1人で図書館に行くようになったのは小学校3年くらいの時で、それまでずっと図書館通いに母は付き合ってくれました。
気に入った本があるとその続きの話を自分で考えて書いてみたり、作風を真似してみたり、別のジャンルに書き換えたり、マンガにしたり。誰にも見せない秘密のノートにいろいろ書いていました。誰かに言われたわけでもなく、ただ
「やってみたいから。」
ひとりで本ばかり読んでそれに飽きるとノートに何か書いている、勉強に全く使っていない自分の机に本が何冊も積んであるとうれしい。今思うと暗い少女時代で、私が母の立場だったら、友達がいないのでは、と心配したかもしれません。でも、母は私が本を読むことを褒めることもなければ、他のこともやりなさいと注意することもありませんでした。自作のノートもかなりの量になりましたが、恥ずかしくて全部捨ててしまったような気がします。家でひとり、誰にも邪魔されずひっそりとやっていました。
大人になってわかったこと
そんな「邪魔されなかった」子ども時代に感謝すべきことに気がついたのは、海外で生活をするようになってからです。
私は急に専業主婦になったけれど、家事は苦手、仕事もなく、趣味もなく、私には何もやることがない、と思った時(海外駐在に帯同した奥さんがこういう状態になるのは危険なことです)、
「また書くことをやってみたら、楽しいかもしれない。」
とふと思ったのです。今はネットも電子書籍も便利で日本語で「読む」ことは比較的簡単ですが、日本語で「話す」機会が減っていました。私はせめて「書く」ことができたら気が晴れるかもしれない、と思い、いろいろな文章を書いてみることにしました。
やり始めると「書く」ことはとても楽しく、思いがけない出会いや、貴重な体験もたくさんできました。「本当に自分がやりたいこと」でないと、そういういい経験につながっていくことはなかったかもしれません。
マララさんよりもだいぶ小さな話になってしまいましたが、1人1人の人生を豊かにする何かって誰にも「邪魔されず」に自分で見つけるもの、とようやく気がつきました。
ちょっと今の私は子どもたちにうるさく言いすぎかも、と反省しつつ、子どもたちの
「〇〇をやってみたい。」
「XXに行ってみたい。」
に、「ダメ」と絶対言わないことにしました。確かに経済的、物理的に不可能なこともあって、100%叶えてあげられるわけではないのですが、どんなことであっても頭ごなしに否定することはしないで、できる限り付き合っていきたいと思うようになりました。
今はただジャンプしていることが好きかもしれないですが、 子どもたちには高く自由に飛んでほしいと思うものですね。 |
野口由美子